老舗の名物ものがたり

東京・銀座『未能一』其の一:味本位な“呑ませる”隠れ家割烹

高級クラブが立ち並ぶ銀座8丁目の雑居ビルの5階に、この街の旦那衆がこっそり通う隠れ家があります。主人の巽(たつみ)保次さんは、昭和61年、銀座で独立。一時は小田原に移転しましたが、常連の熱烈なラブコールに応えて戻り、小体な店を夫婦二人で守っています。御年76歳の巽さんが作る料理は「こんにゃくの酒盗玉子和え」や「いわしの棒煮」など、華やかな食材は使わない代わりに上等なものを選び、寄り添うように味を含ませていきます。気がつくと酒が進んでいる、気取りのまったくない“呑ませる割烹”です。


柏原光太郎(かしわばらこうたろう):1963年東京生まれ。慶應義塾大学を卒業後、株式会社文藝春秋に入社。『東京いい店うまい店』編集長、食のEC『文春マルシェ』立ち上げののち、独立。食の社交倶楽部『日本ガストロノミー協会』を設立し、会長に。食べログフォロワー5万人以上。外食産業、地方創生関係者とのつながりも深い。著書に『ニッポン美食立国論』(日刊現代)。

文:柏原光太郎 / 撮影:綿貫淳弥

目次


世慣れた銀座の旦那衆がこっそり通う隠れ家

銀座『未能一』の店内

私がこの店の存在を知ったのは平成19年、巽 保次さんが7年ぶりに銀座に戻ってきた時だった。築地にある日本料理専門の器屋が「今度、銀座にできる店、柏原さんはきっと好きだと思うよ」と紹介してくれたからだった。

仕事柄、開業情報にいち早くアクセスできる彼とは長い付き合いで、私の好みもよく知っている。黙って訪れ、主人の好きな料理を出してもらい、彼の言葉が間違っていないことを知った。以来、ことあるごとに訪ねてきた。

数年にわたってミシュランの星を得続けていたが、高級食材を使う派手な料理を出すわけでもないから、スターホッパーには真価が分からなかったのかもしれない。かつては遊び倒したが、今はいぶし銀の旨さを求める銀座の世慣れた旦那衆が、こっそりと愛する店として存在している。

巽さんの料理哲学を象徴する名物に、「こんにゃくの酒盗玉子和え」がある。コンニャクは高く値段が取れる食材ではないから、高級割烹では主役になることは少ないだろう。だが、隠し庖丁を入れ、じっくりと茹でてから炒り煮にし、酒盗と卵黄と和えることで、見事なまでの酒肴に変身する。

私もそれなりに齢を重ね、これからはわがままに生きようと思っている。この料理に価値を見出し、互いに「しみじみ旨いね」と言える人とだけ、『未能一』では杯を重ねたいと思っている。

銀座『未能一』のこんにゃくの酒盗玉子和えコンニャクをカツオ昆布だし・醤油・梅干しで煮て、卵黄入りの酒盗で和えた名物「こんにゃくの酒盗玉子和え」。酒は福島・二本松『檜物屋(ひものや)酒造店』の「千功成(せんこうなり)」純米酒のみという潔さ。

「未だ一つに能(あた)わず」の職人気質

和歌山県御坊(ごぼう)市の寿司屋の息子として生まれた巽さんは、大阪の割烹を経て、かつての銀座・木挽(こびき)町の『𠮷兆 東京店』で4年修業。「基礎を教わりましたが、量が多くて派手なところはちょっと合わなかったかもしれません」と話す。
その後、東京の様々な和食店で経験を積み、30歳の時に赤坂の高級日本料理店で料理長を任せられる。

今いる「すずりゅうビル」のオーナーから「1階で店をやらないか」と声をかけられたのは昭和61年、39歳の時だった。屋号の『未能一』は、オーナーの父親のペンネームから取ったが、「未だ一に能わず」という意味で、巽さんの謙虚な姿勢にとても似合っていると私は思う。

バブル全盛期に開店した『未能一』は、弟子を使い、手広くやっていたという。アラカルト主体で客単価は3万円くらいだというから、当時としてもかなり高級な店だったのだろう。「鯛の塩煮」や「こんにゃくの酒盗玉子和え」など、今に至る名物もこの時期に考え出された。

14年ほどやったが、一度は自宅近くの小田原・鴨宮で『真味吉弥』を開店。相模湾の地魚を使ったカジュアルな割烹だったが、銀座とは違う客層に戸惑いも感じていた。そんな折、以前の常連から「戻ってこい」と言われた。

銀座時代を長年支えてくれた客の声に背中を押され、再び「すずりゅうビル」に戻ったのが平成19年9月。以前よりもリーズナブルで気楽な店にしたいと思い、夫婦二人だけで、以前の半分くらいの小さな割烹を再開。

その朗報は、昔ながらの常連客に次々届き、私もこの時期から通うことになった。「親子二代で贔屓(ひいき)にしてくれる常連も多くて」と、お二人は顔をほころばせる。

銀座『未能一』の巽夫妻ご主人の巽さんと、奥さんの一栄(かずえ)さん。現在は夫婦でカウンター4席、小上がり6席の小体な店を切り盛りする。

酒肴から始まる、いぶし銀のおまかせ

再開当時はアラカルト中心だったが、当意即妙に少量ずつ楽しめる料理を出してくれるため、私もいつしかおまかせで頼むようになった。そういう客が多かったのだろう。現在は、おまかせ主体だ。

小鉢で酒のアテが5品ほど出て、お吸い物、お造り、焼き物、煮物、ご飯、和のデザートという流れだが、飲む客には料理を変えたり、事前にリクエストすればスッポンやフグ、クエなどのコースもやる。お吸い物は客の肝臓をいたわって、青森・十三湖のシジミを使った薄めの味噌仕立てが定番だ。

「まぐろの黒豆納豆」「牡蠣と大根の酒粕煮」「からすみの粕漬」など、酒に合うものが多いのも特徴。ただし、店にある日本酒は福島の「千功成」純米酒のみ。料理の邪魔をしない、ということで選んだと聞くが、確かにすいすいと入り、料理を引き立ててくれる。

巽さんの料理は、一人仕事にも関わらず、実に仕込みに手間がかかっている。鯛なら丸のまま仕入れ、丁寧にさばいて、はらぼ(腹骨の身)や頭、皮と、部位別の美味しさも楽しませる。塩糀や酒盗地など自家製の調味料も多い。

料理人歴60年。昔ながらの技術を礎にした“いぶし銀の仕事”から生まれる味わいは、地味ではあるが、滋味に溢れている。今、そんな日本料理を食べられる割烹がどれほどあるだろうか。

銀座『未能一』の酒肴左から、松茸を焼いて自家製の塩糀に一晩漬け、スダチを搾って供す「焼松茸の塩糀和え」、「鯛はらぼの胡麻塩焼き」。殻を割って塩水で茹で、そのまま煮詰めて煎り上げる「塩煎り銀杏」。

銀座『未能一』の品書きおまかせ16000円の主役となる食材を季節ごとに表記したお品書き。松茸やスッポン、カニなどの季節の価格は要相談。

持ち味を際立たせる、引き算の塩梅

今回、巽さんが選んだ料理の一つに「いちじくの天ぷら」があった。イチジクにはゴマダレをかけるのがセオリーだと思っていたが、巽さんは塩をふるだけ。理由を聞くと、「ゴマダレがあると、繊細なイチジクの甘みが損なわれてしまうでしょう」と事も無げに話す。

練りゴマを加えたタレで食べるところが多い鯛茶漬も、『未能一』では注文があってから炒りゴマを当たって醤油だけで塩梅する。これも「こんな旨い鯛なのに、練りゴマで和えるなんてもったいない」と。

つまり、素材の旨さを引き出すことが一番大切で、そのために加えるものは最小限なのだ。日本料理は引き算の料理といわれるが、巽さんはその本質を突いている。引き算の料理は、上等な食材と、火入れなど調理の技術があってこそ。それを絶妙なバランスで成立させるのが、巽さんの矜持なのである。

銀座『未能一』のイチヂクの天ぷら10月末まで、常連が楽しみにするシンプルな「いちじくの天ぷら」。天ぷら衣をつけて揚げた後、半割りにして塩をふる。

銀座『未能一』の鯛茶名物の鯛茶。炒りゴマをすり鉢で当たり、千葉の『入正(いりしょう)醤油』の「生しぼりしょうゆ」で味付けし、7割程度まですり合わせて鯛の切り身と和える。ワサビ、焼き海苔と合わせ、煎茶をかけていただく。

コロナで『未能一』も一時、休業を余儀なくされたが、再開したという手紙をいただいて、私はとても嬉しく思った。「まだまだいけますね」と聞いたら、「そうですね、80歳まではやりたいと思っています。あと4年ですか」とほほ笑む。

巽さんはよく「料理」「割烹」という言葉の本来の意味を考えると言う。料理は「料(はか)り理(おさ)めること」。割烹の「割は割るという庖丁仕事。烹は烹調の意味で、煮て調理すること」。

この基本に忠実でありたいと巽さんは思っている。今は、ネットの発達や情報量の多さが過去と全く違うことから、数か月の修業で数十年分に対応するともいわれる。私はそれを言下に否定するわけではないが、巽さんの仕事を見ていると、時間をかけた料理の凄みを感じる。こうした料理人がまだ現役でいてくれることに敬服すると共に、この仕事はずっと生き続けてほしいと思う。

銀座『未能一』の外観

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