料理のうつわ十問十答

「樂」最終章。なぜ料理うつわを焼かなくなったのか?

桃山時代から始まり、約450年。『梶古美術』の梶 高明さん・燦太さん親子のナビゲートでお届けしてきた「樂」のお話も今回が最終章。明治から昭和にかけて活躍した十二代・弘入は歴代でもっとも多くの料理うつわを焼いています。ところが、十四代以降は茶道具に専念し、茶碗の名声は海を越えていきます。今回の『菊乃井』の村田知晴さんによる十問は、「樂」のことだけに留まらず、オークションの裏話、古美術商は贋作をどう見分けるか?と広がって…。骨董の面白味が語られていきます。

文:梶 高明 / 撮影:内藤貞保
答える人:梶 高明さん

『梶 古美術』七代目当主。その見識と目利きを頼りに、京都をはじめ全国の料理人が訪ねてくるという。朝日カルチャーセンターでは骨董講座の講師も担当。現在、「社団法人茶道裏千家淡交会」講師、「NPO法人 日本料理アカデミー」正会員,「京都料理芽生会」賛助会員。

質問する人:村田知晴さん

1981年、群馬県生まれ。『株式会社 菊の井』専務取締役を務めながら、京都の名料亭『菊乃井』四代目として料理修業中。35歳で厨房に入り、現在5年目。「京都料理芽生会」「NPO法人 日本料理アカデミー」所属。龍谷大学大学院農学研究科博士後期課程に在籍し、食農科学を専攻している。

共に学ぶ人:梶 燦太さん

1993年、梶さんの次男として京都に生まれる。立命館アジア太平洋大学国際経営学部を卒業後、『梶 古美術』に入り、現在2年目。八代目となるべく勉強中。

(第1問)

十二代・弘入の料理うつわは多彩?

梶 高明(以下:梶)
歴代の中で、最も多くの料理うつわをつくっているのは、十二代の弘入(1857~1932)ではないかと思います。
この人が代を継いだのは明治維新の直後。西欧文化の流入により茶の湯をはじめとした日本文化は一気に隅へ隅へと追いやられていきますが、一方で料理屋業は発展を遂げたようなので、樂家へのうつわの発注はかなりあったのではないでしょうか。
村田知晴(以下:村田)
バリエーションも増えたのでしょうね。
梶 燦太(以下:燦太)
例えば、この向付は独楽(こま)の意匠ですが、弘入以前の世代では見たことがありません。それまでの楽焼にはなかった意匠かもしれませんね。
梶:
古い時代より漆器の意匠としてあったものを、焼物に取り入れたのでしょう。
幕末以降、日本には西洋からいろいろなものが入ってきましたが、樂家は流行に飛びつくような家柄ではないので、流行が落ち着いて、日本人の独自の感性で地に足をつけて見られるようになった頃、ちょうど壮年期を迎えた弘入は、受けた刺激をうつわや茶碗に反映していたのでしょうね。
伝統に留まるだけでなく、かといって流行にも流されず。冷静に押し寄せた西洋化と近代化の波に向き合った姿勢が、弘入の面白いところだと僕は思います。

2021_08_23_0290古美術の世界では独楽はよくある意匠。特に漆器ではよく見かける。魔除けに用いられたと言われ、中央に向かって明るい色使いをすることが多いという。

2021_08_23_0333十二代・弘入造の菓子鉢「幾久之絵鉢(菊)」。赤い化粧土を塗って、透明釉をかけ、菊の模様を刻んで金で装飾している。

(第2問)

樂の料理うつわ、長所と短所は?

2021_08_23_0318弘入の大葉皿。樂では最大級のサイズのうつわ。長石粒を含んだ砂薬を用いて、ざらついた表情に仕立てている。

村田:
この柏皿は随分大きいですよね? 向付としては大きすぎると思いますが…。
梶:
料理屋が求めるうつわの幅が広がって、それに樂家が応えた、ということでしょうかね。
でも、樂焼は料理を盛るのに少々難があるのです。やわらかくて欠けやすいですし、水に長く浸けすぎると強度は低くなりますし。かといって水分をよく吸うので、使用後しっかり乾燥させないと匂いが残りますし…。
村田:
でも、樂焼って軽いでしょう。そこは長所だと思うのですが。
梶:
そうですね。それから、樂焼は保温性が高く、温めておいたらしばらく温(ぬく)いですし、熱々のものを入れても温かさが保たれます。でも、手で持てないほどにはうつわが熱くならず、よい塩梅です。

(第3問)

判子の種類はなぜ増えた?

2021_08_23_0236

燦太:
弘入は、判子の数も一番多いんですよ。
村田:
作品の数が多いと、判子の種類も多くなるんですか?
梶:
了入の頃、火災によって判子を失い、変えざるを得ない状況になったことから、それ以降、生涯の間に判子を複数変える考え方が樂家の中で生まれたようです。
弘入は生産力のあった人ですから、作品数も多く、注文主や仕事の内容、年代によって使い分けていたのでしょうね。
燦太:
34歳の時、初代長次郎が300回忌を迎えるにあたって、父親である先代の慶入と共に赤茶碗を300個つくっているのです。
梶:
私も今、赤樂を持っています。私は弘入の茶碗でよい出来だなと思うものもあるのですが、こちらはちょっと気が入っていないというか…。高台に割れ目を入れてみたり、ヘラ目をより強調させたりと、いろいろやっているでしょう。ちょっと装飾的すぎるのかな?と思います。

2021_08_23_0256表千家十三世即中斎(そくちゅうさい)による箱書き(左)で、山深いところにある木を意味する、深山木(みやまぎ)と命名されている。表千家十二世惺斎(せいさい)による箱書き(中央)もあり、こちらの銘は薄紅葉(うすもみじ)。樂十四代・覚入によって弘入の作であることが鑑定され、そのことを箱に記している(右)。

村田:
箱書きがたくさんありますね。
梶:
このように時代の異なるいくつもの箱が添うことを、長い年月愛されてきた証として高く評価する風潮があります。この茶碗は「薄紅葉」の銘が付けられていたために、秋の茶会でしか使用できないと感じた所有者が、他の季節でも使用しやすい銘を望んで、次の世代の家元に別名を付けてもらったのかもしれませんね。

(第4問)

戦中は作陶できたのですか?

燦太:
十三代・惺入(せいにゅう:1887~1944)の時代といえば、その大半が戦時中です。この人は弘入の長男で、代を継いだのは32歳。第1次世界大戦が終わった直後の1919年です。ベルサイユ条約の年ですから、本当につい最近まで戦争をやっていたような時代です。
村田:
世の中は茶の湯どころじゃない…ですよね。
燦太:
惺入は、戦争で茶道というものが無くなってしまわないよう、様々な啓蒙活動をしています。茶道研究誌「茶道せゝらぎ」を発刊したり、釉薬の調合を研究したり。
梶:
黒樂は加茂川の上流で採れる真黒石(まくろいし)を細かく粉末状に砕き、時には糊などを混ぜて粘りのあるペースト状の釉薬にして、茶碗の下地の表面に塗り付けるとお話しましたが、惺入は真黒石以外の異なる鉱石も試したとも聞いています。
村田:
戦時中は茶碗だけでなく、焼き物全般の需要もなかったのでは?
梶:
窯を焚くということはできなかったでしょうね。煙が上がりますし、このことで爆撃の目標になってしまう。 この時代、陶芸家は本業以外のいろんなことに取り組んでいます。そして、それを高いレベルで習得する人も出てくる。惺入も書画や和歌などに通じていて、高い学識を身につける努力を怠らなかったようです。
河井寛次郎も、戦時中に彫刻や書に没頭したようです。若い頃の寛次郎の箱書きを見ると決して字は上手ではなく、やや弱々しいものでした。ところが、戦後は存在感のある力強い字を書くようになって。高いレベルの彫刻や書の作品も残しているのですよ。

(第5問)

十四代・覚入からの変化とは?

梶:
実は弘入以降の樂茶碗に、僕はどうしても惹かれないんです。 弘入の茶碗には、昔ながらの「道具」のよさと、新しいものを取り入れようという気配の両方を感じます。そのバランスがいい茶碗は素晴らしいなと思っています。
ところが、惺入、その後の覚入(1918~1980)あたりになると、古典を学んでそこから自分の作風を模索するよりも、現代的なセンスで芸術作品を生み出そうとする姿勢が際立って見えすぎるように思うのです。それがモダンで素敵という人もたくさんおられるでしょうが、私は積極的に扱おうという気持ちになれないのです。僕が惹かれるのは「道具」としての顔を持った茶碗なのです。
明治から大正期の近代建築には興味を覚えるけれど、昭和に入った建築のデザインは昭和世代の私たちには魅力的に見えないのとよく似ているかもしれません。
燦太:
覚入は戦争に行っていて、戻ってきたら父親の惺入が亡くなっていて…。戦後の樂家を再興した方です。京都の『樂美術館』はこの人が設立したんですよ。
村田:
覚入の作風とはどんなものなんですか?
燦太:
戦地から帰国した後、独学で茶陶するにあたって、東京美術学校(今の東京芸大)で彫刻を学ぶんですね。ですから茶碗にも彫刻的なニュアンスが感じられます。
梶:
樂茶碗には了入以降、ヘラ目の持つ表現力を強く意識する傾向があるようです。そういう歴代の作品をさらに発展させるために、彫刻的な技法を取り入れるのもありだとする気持ちがあったのかもしれませんね。
燦太:
覚入の茶碗もヘラで面を取っていくような造形が多いのですが、そのモダンさが代々の樂家の伝統と融合して、当時はとても人気があったようです。その作風は息子の十五代・直入(じきにゅう:1949~)に受け継がれているように見えます。
直入も東京芸大の彫刻科を卒業されていて、イタリアのローマアカデミアでさらに彫刻を学ばれます。そして、陶芸美術界に一石を投じるような前衛的な茶碗をつくって個展を開催され、特にヨーロッパをはじめとする海外でも人気を博していらっしゃいます。

(第6問)

樂茶碗が高価になったワケは?

梶:
こちらのふたつの黒樂はとても対照的でしょう。どちらも直入の作品です。
村田:
一つは仰っていたように彫刻的ですね。もう一つは古い世代の黒樂にも通じるようなニュアンスを感じます。

2021_08_23_03582021_08_23_0368上/直入作の焼貫(やきぬき)の黒茶碗。箱には「癸亥(みずのとい)」と記されており、1983(昭和58)年の作だと分かる。
下/同じく直入作の黒茶碗。蓋の右上に御印(ぎょいん)とあるのは、高円宮(たかまどのみや)より拝領した陶印を用いた茶碗であることを表している。

梶:
知晴さん、5回目にして目が少し開いてきたのですね! そうでしょう、これが僕の言う“作品的”な茶碗と“道具的”な茶碗の違いがよく表れている例です。
以前、樂茶碗は鞘(さや)に入れて焼くとお話ししましたが、度重なる使用によって鞘も崩れていきます。あえてその崩れた状態の鞘を使って焼くと、ムラができて面白い景色が得られることがあるのです。この焼貫の技法は、直入さんが好んで茶碗造りによく使っているようです。
もうひとつの黒樂は、上部から厚くかけた釉薬が垂れ落ちて、まるで上方から舞台の幕が降りたような景色が生まれています。これは幕釉(まくぐすり)と呼ばれ、樂家では古い時代より使われている技法です。
村田:
下世話な話なのですが…おいくらぐらいなのでしょうか?
梶:
少し前の話なのですが、とある百貨店で覚入の個展を開催し、同時に販売もするというので、抽選にエントリーされますか?というお誘いがありました。その時の樂茶碗の値段はいくらだったと思いますか?
村田:
えーっと…数十万ですか?
梶:
黒樂で1200万円です。
村田:
となると、直入さんは現役ですからもう少しお安くて、骨董はもっとお値段が張るということでしょうか?
梶:
それがそうでもないんです。骨董は古いほど値段が高いとお考えかもしれませんが、今はそれが大きく崩れてしまっています。というのも、現代人は作品を評価する時に真贋を鑑定書に頼り切って、作品の出来不出来で見極める目が充分に養われていないようです。従って、古い作品には常に疑いの目が向けられ、それが評価に影響を与えているのかもしれません。
300年前の茶碗があったとします。箱書きには確かに江戸中期の作者名が記されている。けれど、長い年月の間に中身がすり替わっている可能性だって考えられるでしょう。
燦太:
現代ではそれほど茶の湯が盛んではなくなってきているのに、樂茶碗の評価が高く保たれているというのは、海外での評価が少なからず影響しているのかもしれません。
梶:
昔はあくまで茶の湯の道具であった茶碗が、芸術作品としての評価も受けるようになり、そちらの方面での評価が価格に反映されているでしょうね。

(第7問)

「伝来」の張り札でプレミアが付く?

燦太:
値段の話でいうと、プレミアが付いているものは高いんですよ。例えば、本願寺が持っていたという証の張紙(はりし)が箱に貼ってあるとか。
梶:
これを「伝来」の品といいます。
明治から大正初期にかけて、西本願寺では仏教伝来について調査を行うため大谷探検隊を組織し、シルクロードの仏教遺跡に派遣します。その費用が莫大になり、本願寺の運営を揺るがします。結果、寺の宝物を売却するのですが、その張紙のある寺宝が「本願寺伝来品」として世の中に出回っていくのです。
村田:
本願寺が所有していたということで、プレミアが付くのですか?
梶:
本願寺が所蔵していたのなら間違いのないものだろう、ということですね。
大谷翔平が少年時代に使っていたバットやグローブを、大谷翔平のご両親が出品した、みたいなことです。
燦太:
品物が確かかどうかの裏付けになるといえば、書載品(しょさいひん)もそうです。これは書物に写真付きで載っている品という意味ですね。

0143 0404左/張紙の「松下軒」は名古屋地区の関戸家のこと。この名家に伝わった品であることが想像できる。右/この箱の張紙からは大阪の平瀬家の伝来の品であることが読み取れる。

(第8問)

戦後、茶の湯は変わった?

燦太:
戦後の茶の湯を支えたのは、近代の数寄者たちです。軍事産業で儲けたり、戦後の好景気に財をなした方々がコレクターとなる時代に入っていきます。
村田:
三井家、住友家などの財閥のコレクションは美術館で公開もされていますよね。
燦太:
例えば赤星家は、軍需商人であった弥之助が、神戸港を作って巨万の富を得るのですが、その資金力で日本美術を買い占めます。裏千家13世の円能斎(えんのうさい:1872~1924)に茶事を学び、天下の名器をも収集したのですが、次の世代は美術品には興味がなく、コレクションを手放してしまいます。その総額はなんと393万円。現代の貨幣価値にすると1兆6000億円です。戦前の売立でこの額を超えるのは、鴻池男爵家の689万円。3兆円近いですね。その中には国宝のものもあったそうですよ。

2021_08_23_0396箱の上には「上出来 新兵衛茶碗」と記載されているが、その文字が鴻池財閥の鴻池道億の筆であることを、同じく財閥の藤田家、芦庵こと藤田傅三郎が箱裏に記している。この茶碗が名家を経て現代に伝わっていることを語っている。

梶:
それと共に、女性が結婚前に教養を身につけるために茶道を学ぶことが増えていきます。その土台を作ったのが、先ほどの裏千家の円能斎です。この家元が茶道を、対面して教える直伝だけでなく、顔を見ることなくテキストを使って教える教授方法を取り入れたのです。
燦太:
書籍「小習十六ヶ条」や機関誌「今日庵月報」などですね。円能斎は一般の人が茶道を学べるように、女学校教育の中に茶道を取り入れた人なんですよ。

(第9問)

贋作はなかったのですか?

村田:
素朴な疑問なんですが…。樂茶碗を真似る人は出てこなかったのでしょうか?
梶:
そりゃあ、ありますよ。ただ、ご本人に贋作という感覚があったかどうかは分かりませんが…。
人を騙(だま)して金銭を得る目的で作られた贋作というより、本歌(ほんか)を買えない人のためにつくられた、あるいは本歌から学ぶ目的でつくられた写しなどですよね。
本歌というのは、模造品でないオリジナルという意味です。
村田:
どうやって本物と見分けるのですか?
梶:
僕ら古美術商は、たくさんの作品を見ていて、自分なりに特徴を掴んでいるというのはありますが、偽物というのは作品そのものだけでなく、いろんなところにボロが出るんですね。
箱の造りが粗悪である。正絹であるはずの真田紐(さなだひも)に木綿が使われている。桐箱が海外産の材を用いている。本歌をしっかり学ばずにただ似せている…。
お金をかけず人を欺こうとする姿勢が、様々なところに卑しい姿で表れてくるわけです。箱だって、箱屋の箱と指物師の箱とでは、文字で読んだだけでも品質に違いがありそうでしょう。
燦太:
箱の造りに気遣いがあり、さらにそこに正当な樂家の箱書きがあれば一応信用はできると考えられます。
楽焼は代々の当主が鑑定していますから。
梶:
自分の家の歴代の作品を見て、また、触っているうちになんとなくその特徴を掴んでいくのでしょうね。 樂茶碗は窯から引き出す時に「やっとこ」を用いるため、その挟み跡が茶碗に残ります。代々「やっとこ」は使いやすい形のものを自分で作るそうで、それで実際に茶碗を挟んでみて鑑定するのだと、直入さんに聞いたことがあります。

2021_08_23_00982021_08_23_0114

(第10問)

樂家はなぜ料理うつわを焼かなくなった?

村田:
樂家のご当代は料理うつわを焼いているのでしょうか?
梶:
十四代の覚入を最後に、料理うつわを見なくなったように思います。
村田:
なぜ焼かなくなったのでしょうか?
梶:
茶碗が高額で取引されることになったこともあるでしょうし、料理屋の多様な注文を受けられるほど生産力がないこともあるでしょう。
でも僕は何より、作陶が哲学的な深い道に入り、茶碗を中心とした制作に専念していこうという姿勢が貫かれているからだと思います。樂とはなんぞや、というところを深堀りされていったのでしょうね。
村田:
3年ほど前から若手作家さんたちと勉強会をやっているのですが、皆さん、やはり茶碗をつくりたいと仰います。料理うつわと茶碗では格が違うのでしょうね。
梶:
でも、茶碗というのはそう簡単につくれるものではないのです。
現代の陶芸家は新しいアイデアを持って茶碗づくりに挑もうとしているようですが、アイデアに重きをおいた姿勢で茶碗のかたちや景色が整うものだとは思いません。
茶道という木々に覆われた世界に道深く迷い込んでいくことで学びを得て、それが茶碗の表現に厚みを加えていくのではないかと思います。茶碗とはなんぞや、道具とは何かを問い続けてきた高い精神性が樂家の代々の作品には宿っているのでしょう。僕たちが茶碗に求めているのは、そういう精神の宿った茶碗の姿かもしれません。

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