料理のうつわ十問十答

永楽の成り立ち

2022.05.23
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連載:料理のうつわ十問十答

京都の料理屋には、必ずと言っていいほど永楽のうつわがあります。その代表格といえば交趾(こうち)ですが、祥瑞(しょんずい)、仁清(にんせい)、金襴手(きんらんで)…と多彩な写しを手掛け、作風の広さは随一とされています。料理のうつわの基本のキを学ぶ本連載、今回のテーマは永楽。『菊乃井』の村田知晴さんの質問は、永楽家の成り立ちから始まります。この日、『梶 古美術』では永楽家の年表が記されたホワイトボードが用意されていました。梶 高明さんが語る永楽家の初期は、意外な逸話に彩られています。

文:梶 高明 / 撮影:竹中稔彦
答える人:梶 高明さん

『梶 古美術』七代目当主。その見識と目利きを頼りに、京都をはじめ全国の料理人が訪ねてくるという。朝日カルチャーセンターでは骨董講座の講師も担当。現在、「社団法人茶道裏千家淡交会」講師、「NPO法人 日本料理アカデミー」正会員、「京都料理芽生会」賛助会員。
梶 古美術●京都市東山区新門前通東大路通西入ル梅本町260 
https://kajiantiques.com/

質問する人:村田知晴さん

1981年、群馬県生まれ。『株式会社 菊の井』専務取締役を務めながら、京都の名料亭『菊乃井』四代目として料理修業中。35歳で厨房に入り、現在5年目。「京都料理芽生会」「NPO法人 日本料理アカデミー」所属。龍谷大学大学院農学研究科博士後期課程に在籍し、食農科学を専攻している。

共に学ぶ人:梶 燦太さん

1993年、梶さんの次男として京都に生まれる。立命館アジア太平洋大学国際経営学部を卒業後、『梶 古美術』に入り、現在2年目。八代目となるべく勉強中。

(第1問)

永楽家の初代が焼いていたものは?

村田知晴(以下:村田)
前回の祥瑞の後編や、京焼の回など、永楽のうつわのお話は何度も出ました。一度ゆっくり永楽について学びたいと思っていました。
梶 高明(以下:梶)
知晴さん、土風炉(どぶろ)の話を覚えていますか?
村田:
はい、確か樂の回でしたよね。天明の大火(1788年)で焼け出されてしまった永楽家の10代の了全が樂家にお世話になるという話で、それ以前は、土風炉師であったと。
梶 燦太(以下:燦太)
そうです。三千家の茶道具をつくる十の職方を表す千家十職(せんけじっしょく)でも、永楽は土風炉師となっています。とはいえ、永楽姓になったのは後のことで、もともとは西村姓だったんですよ。
永楽家の当主は代々、善五郎と名乗っていますが、代を譲った後は了全のように「全」の付いた隠居名を使います。

ten0014zenhan a永楽の作ではないが、こちらが土風炉。茶席で湯を沸かす時に用いる道具。中央に炭を入れ、五徳を据えて、その上に茶釜をのせて湯を沸かす。今では、冬場は炉を切ってその中に茶釜を据えるが、昔は一年中風炉を使っていたという。「それを思えば、昔は土風炉の需要も多かったことでしょう」と梶さん。

梶:
西村家は、奈良の西の村に住まいしていたことからその名があったと言われています。初代は、春日大社の供御器(くごき)と呼ばれる神事に用いる焼き物をつくっていたようです。これが室町時代の終わり頃ですね。その頃から茶の湯が広く流行していきます。すると西村家に、堺の数寄者たちから仕事の依頼が来るようになります。その依頼主こそが、村田珠光(むらたじゅこう)に続いてわび茶を主導した竹野紹鴎(たけのじょうおう)だと言われています。土風炉師となったのは、この頃からではないかと考えられています。
その後、茶の湯の中心が京都へと移るのに伴って、西村家も京へ移り住んだようです。
燦太:
「美術手帖」によると、三代の頃に京都に移り住むとあります。三代目・西村宗全は元和9(1623)年に亡くなっているので、江戸時代の初期でしょうね。
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