和食の来た道、行く道

「懐石コース」は、どこから来た?【中編】魯山人と𠮷兆、板前割烹、そして京料理

日本美術史の研究者・依田(よだ)徹さんと、『八雲茶寮』(東京・目黒)総料理長・梅原陣之輔さんの対談から、日本料理の歴史をテーマごとに探るこの連載。第1回のテーマである日本料理の“スタイル”を、前中後編の3回で掘り下げるシリーズの2回目です。前編では本膳料理と茶懐石、江戸時代の料理屋を追いましたが、今回はぐっと時代を下げて昭和に注目。現在の日本料理にも受け継がれるスタイルを生んだ二巨頭、北大路魯山人と『𠮷兆』湯木貞一を追い、板前割烹と京料理について考察します。

文:柴田 泉 / 撮影:天方晴子

目次

依田 徹さん

1977年山梨県出身。東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻にて博士(美術史)に。遠山記念館学芸課長。日本近代美術史と茶道史を専門とする。専門の『近代茶人の肖像』『皇室と茶の湯』のほか『盆栽の誕生』など盆栽に関する著書も多数。『懐石新書 革命と継承の日本料理』(2025年、淡交社)で第17回辻󠄀静雄食文化賞受賞。

梅原陣之輔さん

1969年大分県日田市出身。京都『たん熊北店』で修業を始め、福岡の和食ダイニング料理長、大分県による在東京アンテナレストラン『坐来(ざらい)大分』(銀座)にて8年間総料理長を経験。現在は「SIMPLICITY」による日本料理店『八雲茶寮』(目黒)の総料理長。農林水産省「料理マスターズ」ほか受賞多数。

規範や作為を嫌った魯山人。料理の美意識を一新

梅原陣之輔(以下:梅原)
現在の日本料理に直結する影響という意味では、北大路魯山人は欠かせないと思っています。

魯山人は随筆で、良寛(江戸時代後期の禅僧、歌人、漢詩人、書家)の「好まぬもの三つ」が「歌詠みの歌、書家の書、料理屋の料理」であると引用し、自分の考えとしても料理屋の料理を「大したものがない」と斬り捨てる。なので、料理人の自分としてはちょっと悔しい思いもありますが(笑)。

依田さんの目から見て、日本料理の歴史のなかで、魯山人はどのような存在でしょう。

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●北大路魯山人 きたおおじ ろさんじん(1883~1959)

  • 篆刻、絵画、陶芸、書、漆工、料理の分野で明治末〜昭和期に活躍
  • 京都・上賀茂生まれ。明治末、20代で書・篆刻で頭角を現し、大正期から食と器の世界へ活動を広げる。昭和には陶芸家・美食家として大きな影響力を持つ。1959年、76歳で死去
  • 大正時代に会員制「美食倶楽部」を東京で始め、4年後会員制料亭『星岡茶寮』顧問兼料理長。それぞれ38歳、42歳の頃
  • 料理では素材の持ち味を生かすこと、作為を感じさせないことを重視
  • 書、陶芸、料理を分けて考えず、特に料理と器を一体で捉える
  • 作陶では織部、志野、備前、染付など幅広く取り組む。多くの名店で今も大切に使われている
依田 徹(以下:依田)
魯山人が求めたのは、それまでの高級料理の規範から外れたものなのでしょう。特に料理で「自然そのものを尊ぶ」基準を作った点が重要だと思っています。

かなり大胆な人だったようです。『星岡茶寮』の献立を調べたことがあったのですが、そのなかで忘れられないのが、冬のコースの目玉が狸汁だったこと。軽くショックを受けました(笑)。

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