ロンドン、コロナ禍と和の料理人 Vol.1
海を渡り、彼の地で和食を生業として奮闘する日本人シェフたち。そのチャレンジと独自の料理世界をルポする「Japanese chef~世界に挑む、和の料理人~」第1回目の舞台は、ヨーロッパでは最多の死者数が出た、イギリス。厳しい規制下に置かれたロンドンで、過酷な戦いを強いられた日本人料理人たちの、この一年の姿を、現地から描く。
突如、襲ったパンデミック、そして、ロックダウン 。過酷な封鎖が、この一年を包み込んだ。
2021年5月17日。
英国で飲食に携わる人は誰もが、この日に、一筋の希望の光を感じているだろう。
イギリスが最初のロックダウンに入ったのは、昨年3月23日。そこから3度に及ぶ厳しい封鎖を経て、この5月、飲食店はようやく通常営業に戻ることができる。英国のロックダウン下では、外出できるのは日に一度、運動のためか必需品の買い物だけ。薬局やスーパーを除き、すべての店や施設は閉鎖された。その封鎖下で、最も厳しい制限を受けたのは、飲食業界である。段階を踏みながら自粛と解除が繰り返される中、レストランは一番最初に規制され、一番最後に解除されてきた。人数制限や時短命令を受けずに営業できたのは、この1年1ヶ月のうち、2ヶ月少ししかない*1。
ロンドンでは、コロナの直前、日本食はすこぶる勢いがあった。特に寿司では、”オマカセ”という言葉が知れ渡り始め、にぎりに対する認識は着実に上がっていた。日本人シェフは、いくつもの新プロジェクトやイベントを抱えており、未来への希望に燃えていた時期だった。
しかし、災いはいつも突如襲う。
普段は観光や買い物客で溢れかえる、ロンドンの中心地ピカデリーサーカス。ロックダウン直後から、街中から人は消えた。
*1:英国の一部の地域では、クラスターによる独自の規制が設けられたり、また、スコットランドやウェールズでは違った政策がとられていた時期もある。記事内では、ロンドンを中心とするイギリスでの主なエリアでの規制として記載する。
憂虞(ゆうぐ)との対峙。
「パニックでした」。
何名もの料理人が、一番恐怖を感じたのは、最初だったと口を揃えて話す。突如の営業休止命令。今後の状況すら把握できず、大きな不安が襲った。その後徐々に、コロナウイルスの正体が明らかになってくると、恐怖心は治るどころか、より色濃く浮かび上がる。事態の深刻さが更に鮮明となる。それにつれて、鬱々としたものがゆっくりと襲いかかってきた。経営者の立場でもあるシェフは、スタッフが不安に怯え始めるのも感じ取っていた。
早々にして、有名三ツ星店が閉店となった。街中のレストランの扉は固く閉じられ、店舗の「売却」の看板も見られるようになる。その後もこの一年で、大手フード店の破綻申請や、雇用大幅カットのニュースが報じられ、名の知れたオーナーが何名も、飲食業界への厳しい規制に対する不満の声を、政府に対してそれぞれに表明した。業界への打撃はメディアでも大きく報じられ、SNSを通じた政府への批判投稿に、何百というコメントが寄せられる。
チェーンで硬く閉ざされた扉。パブでは営業規制がかかる度に、何十リットルものビールが破棄されることになる。
自らを、そして、他者をも救うために、動く。
ただ、厳しい状況下で、多少の救いだったと思えるのは、英国政府が支援策を迅速に施行した事だろう。給与の80%が補償され、店舗賃料の優遇策、消費税は通常の20%から、温料理は5%に、寿司を含めた冷料理は0%となった。しかし、実際のところ、これだけでは、赤字を補うには全く不十分だった。長年勤めるスタッフの雇用を致し方なく打ち切る決断もあった。共倒れはできなかった。それでも、店を、従業員を守り、何があっても支援を確約するオーナーの決意と心意気は、試され、そして信頼となって、絆はより強固となった。
封鎖中も、テイクアウトという選択肢は与えられたが、誰もがすぐに移行できたわけではない。
スタッフを店に入れることへの不安とリスク。高級なイメージを保っていた中でのテイクアウトという選択は、誰もが即決できることではなかった。
しかし、高級住宅街に魚料理と寿司の店を構える『Yashin』は、これまで頑なに持ち帰り寿司はやらないと決めていたが、即行動に移る。デリバリー業者との契約、メニューや容器の手配を迅速に済ませ、ロックダウン開始の翌週にはテイクアウトをスタートした。
しかし、ネタとなる魚は思うように入手できなかった。高級レストランのほとんどは、当初はテイクアウトもしておらず、漁師は魚を獲っても売り先がない。野菜農家や畜産業、卸業者も同じだ。追い詰められた状況の中では、高値での売りを急ぐ業者も現れ、混乱が生まれた。
ミシュラン一ツ星『Endo at the Rotunda』のオーナー寿司職人・遠藤和年さんは、これまで店を支え、深い関係を築いてきた実直な漁師達が、人生をかけた漁の仕事を追いやられるのを目の当たりにする。遠藤さん自身、我が身の明日をも知り得ぬ最中に、彼らを救うため奔走する。しかし、「何名かの方は助けられませんでした」と、涙を流した。
英国は、死者が日々数百人に上り、適切な保護服もない状態で、この時点での医療は切迫していた。
コロナで貧困化する人々のために、チャリティー活動で炊き出しも行う、遠藤シェフ。レストランで使用する予定だった日本の食材やだしを使ったカレーを作る。「こんなに美味しいものを今まで食べたことがない」と微笑むホームレスの言葉に、ハッとしたと言う。
見えない出口を求めて、闇の中をさまよう。
最初の長い封鎖を経て、7月4日、ついに営業が可能となった。英国版Go to政策で一時、レストランも繁盛する。しかし、この時のツケはすぐに秋に回ってきた。9月には人数制限、時短命令が出て、11月5日には再びロックダウンとなる。
ボディブローのように打ち続けられる規制は、キツい。あと一歩、あと少し、というささやかな希望が、一瞬にして打ち砕かれる。ゴールの見えない暗闇の中で、不意に頭を殴られながら、ひたすらどこまでも延々と走り続けなければならない。いつ終わるのか? 果たして、今回は乗り越えられるのか?
人知れず、眠れない夜を過ごすこともあった。酒量も増えた、と話す、シェフ達。精神が病む寸前にまで追い込まれた、という話も、聞いた。
傷を負わずにして、誰も、ここまでは来れなかった。
──「ロンドン、コロナ禍と和の料理人」Vol.2に続く
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