「懐石コース」は、どこから来た?【後編】対談を終えて:古式の懐石を現代に落とし込んで、わかったこと
日本美術史の研究者・依田(よだ)徹さんと、『八雲茶寮』(東京・目黒)総料理長・梅原陣之輔さんの対談から、日本料理の歴史をテーマごとに探るこの連載。第1回のテーマである日本料理の“スタイル”を掘り下げるシリーズの最終回です。前編と中編では室町時代から昭和に至る料理様式の変遷を紐解いてきました。その対談を受け、後編では梅原さんに料理を作っていただきます。梅原さんのアンサーは、“古式懐石を現代に落とし込む”。「さまざまな気づきがあった」という料理考案の軌跡も含めて紹介します。
文:柴田 泉 / 撮影:天方晴子
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梅原陣之輔さん
1969年大分県日田市出身。京都『たん熊北店』で修業を始め、福岡の和食ダイニング料理長、大分県による在東京アンテナレストラン『坐来(ざらい)大分』(銀座)にて8年間総料理長を経験。現在は「SIMPLICITY」による日本料理店『八雲茶寮』(目黒)の総料理長。農林水産省「料理マスターズ」ほか受賞多数。
料理が変化した長い軌跡を知ることで、自分の固定概念に気付いた
折敷の上に飯・汁を含む四つの椀(器)を組んだ、いわゆる「四つ椀」の形式の料理を作ってくださいました。
初期(16世紀前半)の懐石から発想し、現代に落とし込んだ「四つ椀」のスタイル。
- 梅原陣之輔(以下:梅原)
- 現在お茶事の懐石では、最初に漆塗りの折敷に飯椀、汁椀、向付を載せて提供します。飯椀と汁椀は蓋付きの黒い漆器。向付は陶磁器の器です。
この「三点セット」が当然のものと思っていたのですが、今回の対談を通してそうではないことを知って驚きました。初期の茶会で出される料理は「四つ椀」の形式、つまりご飯と汁の椀の向こうに料理2品を並べる形式が多かったと、茶会記からわかる。そこから変化しての今です。
なので「変化するんだ」ということに気づいたというか、なぜ今ある形式が絶対で、変化してきたことに思い至らなかったんだろう……という自分の固定概念に対しての驚きというか。
今まで変化してきたのだから、これからも変化していい。そんな初心に似た気持ちと、「今、利休さんがいたらどんな料理を作り、どんな器を使うかな?」という自分なりの想像を合わせながら楽しく作ってみました。
鮑の殻を器に使っています。
- 梅原:
- はい、草庵の懐石が生まれ、まだ初期段階である1537年の茶会記に「鮭の焼き物、菜葉の汁、貝付、飯」という記述があると依田さんの著書(『懐石新書』)で知りました。この「貝付」は、貝殻に盛り付けた料理という意味です。それに倣ってみました。
横長15㎝ほどもある、大きな鮑の貝殻を使用。
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