『神楽坂 石かわ』×現代作家

×太田修嗣vol.2【一問一答】木工から手掛ける“ちょっと変わった”漆の作風

30歳を過ぎてから、漆の道に進むことになった太田修嗣(しゅうじ)さん。塗師(ぬし)の修業からスタートし、生来の負けず嫌いから、人の何倍も働いて技術を習得。「漆は思い通りにならない難しい素材。でも、すぐに思い通りになる素材だったら続いていなかった」と修業当時を振り返ります。木地作りもほぼ独学で習得し、独立後は、木工から塗りまで一人で手掛ける創作スタイルで、独自の漆の世界を築いてきました。そこに惹かれ続ける使い手の一人、『神楽坂 石かわ』の石川秀樹さんが5つの質問で、作風の秘密に迫ります。

文:渡辺紀子 / 撮影:綿貫淳弥/ 編集:伊東由美子

目次


Q1:漆器の道へ進もうと思ったきっかけは?

ish0012-2aおおた・しゅうじ/1949年、愛媛県松山市生まれ。81年、鎌倉で塗師の仕事を始める。87年、独立。ろくろ・指物・刳物(くりもの)一貫制作による木漆工房を開く。94年、愛媛県砥部(とべ)町に移転。同地で木地作りから塗りまで、一貫して制作している。

映画の仕事がしたくて、会社を辞めて東京でアルバイトをしながらフラフラしてた頃、友人に鎌倉彫りの工房を紹介してもらったのが始まりです。

鎌倉なんだから仏像を彫る仕事なんだろうと思っていました。ところが、そこは木彫に漆を塗る漆工房だったんです。

早速、漆の洗礼を受け、肌がかぶれて掻き壊し、手が血みどろになりました。こんな状態が続くようならやめようかと思っていたら、不思議にも3カ月でピタッと止まった。それで続けられたんです。

工房で働く人たちは、みんな年下で訓練校を出た仕事のできる人ばかり。僕はまるっきりのシロウト。馬鹿にされたくなかったし、もともと負けん気が強いので、彼らの倍の時間をかけて頑張りました。自分で言うのもなんだけど、1年目で上塗りを任されるようになって、重箱なんかも、他の誰より上手だと社長に言わしめました(笑)。

漆は、温度や湿度によっても状態が変わるので、コントロールができない。思うようにならないから、一生懸命にならざるをえなくて。それで、だんだん惹き込まれていきました。これが、すぐに思い通りになる素材だったら続いていなかったと思います。

ish0012-2b輪花盆 沢栗(直径36.3cm、高さ3.4cm)。一回り大きいサイズ(直径40.3cm、高さ3.5cm)もあり、そちらはかすがいが付いている。

この工房が、3年経った頃に解散状態になりました。仲間と数人で独立して続けてみたけれど、うまくいかなくて、気づいたら、もう40歳が目の前。

子供もいて、この先食べていくには「別の仕事を考えるしかないかな」と妻に相談したら、「もったいないね」と言われた気がしたんです。後に、妻はそんなことは言ってないと言うんですが(笑)、その時はそう聞こえてね。それで、「2年間、食べさせてくれ」と猶予をもらって、“ものづくり”の世界に入っていったんです。

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