『神楽坂 石かわ』×現代作家

×丸田 雄vol.2【一問一答】初めてのアプローチで唐津焼に新風を吹き込む

陶芸一家に生まれ、幼い時から土に触れて育った丸田 雄(ゆう)さん。古唐津の伝統を踏襲しながら、若々しい感性で新たな世界を切り拓いています。得意の絵唐津に磨きをかけ、青唐津の色を工夫し、まだ誰もトライしたことがなかった“唐津 赤”を生み出す……進化を続ける丸田さんは今、どんな思いで前進されているのでしょうか。祖父から受け継いだという佐賀県武雄市の堂々たる窯を訪れ、『神楽坂 石かわ』店主・石川秀樹さんが聞きたかった5つの疑問を尋ねました。

文:渡辺紀子 / 撮影:竹内さくら(ジオダダ) / 編集:伊東由美子

目次


Q1:最初の修業先が益子だったのはなぜですか?

ish0010-2a丸田 雄さんは、1989年佐賀県生まれ。2011年、濱田庄司氏の弟子・明石庄作氏のもとで修業。2015年、父・丸田宗彦さんに師事。2019年独立。黒牟田(くろむた)錆谷(さびたに)窯開窯。2019年『Pond Gallery(ポンドギャラリー)』にて初個展。

小さい時から、大きくなったら“やきものや”になろうと思っていました。
父(丸田宗彦さん)の仕事場で遊びながら土に触れ、窯焚きを手伝い、時には父の土探しに付いて行ったりして、自然と陶芸に親しんでいたんですね。

長じて、父の勧めで、父の先輩でもある益子の明石庄作先生に師事し、4年間、本格的にやきものを学びました。やきものが大好きだったので、大変でしたが面白かったですね。

その後、父のもとで4年間修業するのですが、益子とは土も窯も違う。益子の土はキメが細かくて扱いやすいのですが、地元の土は砂けが多く、石も入っていて粗いんです。ろくろをひくと、すぐ崩れたりして、一筋縄ではいかない。初心者には難易度が高い土だと気づきました。でも、その分、面白い表情が出るし、焼き締まっていい味のものができる。

父も益子で修業していますから、戻った時、地元の土の難しさを感じたのだと思います。だからこそ、しっかり基本を身につけさせたかったのでしょう。独立して一人でやるようになって、ようやく益子に行けと言われた理由が分かった気がします。初心者が陶芸を学ぶには、最高の環境だったんだなと。おかげで、今、いろいろな展開ができると思っています。

土は、近くにあるじいちゃんの山から掘り出したり、知り合いの工務店にお願いしています。家を解体したり、土地を造成した時、今でも時々いい土が出てくるんです。砂けが多いとか白っぽいとか、事前に伝えてある好みの感じの土が出たら連絡が来るので、見に行って触ってみて、使えそうなら掘ってきます。工務店とはもう5年以上の付き合いなので、好みを分かってくれているんです。

ish0010-2b祖父の作品が展示されている夢殿のような六角形の建物。囲炉裏も祖父の時代のまま。母屋からこの建物に続く橋もそのままである。

結婚と同時に独立して、今の錆谷窯に移りました。ここは祖父・正美の自宅兼工房だったのですが、祖父亡きあと引き継いだ叔父も他界し、その後10年ぐらい空き家だったのを継いだ形です。

この辺りは民陶の黒牟田焼の里で、かつては40軒ぐらい窯があったのですが、今は2軒を残すのみ。自分はゼロからのスタートではなく、家も工房も引き継ぐ環境から始めることができて、本当に感謝しています。

この記事は会員限定記事です。

月額990円(税込)で限定記事が読み放題。
今なら初回30日間無料。

残り:1914文字/全文:3233文字
会員登録して全文を読む ログインして全文を読む

フォローして最新情報をチェック!

Instagram Twitter Facebook YouTube

この連載の他の記事『神楽坂 石かわ』×現代作家

無料記事

Free Article

おすすめテーマ

PrevNext

#人気のタグ

Page Top
会員限定記事が読み放題!

月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です