盃と、ぐい吞【前編】
酒を飲むうつわは、盃(さかずき)、お猪口(ちょこ)、ぐい吞(のみ)など呼び方も様々。ですが、実は最初から“酒を飲むためのうつわ”だったかといえば、さにあらず。今回は、酒杯をテーマに、意外と知られていない「へぇ~」な話をお届けします。前半の5問は、酒器の成り立ちから、昭和初期までの変化について。酒次(さけつぎ)や徳利の骨董もご紹介。『梶 古美術』が所有する北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)のぐい吞や、希少な和製の切子ガラスの盃は一見の価値ありです。
※今回は、『菊乃井』村田知晴さんが欠席のため、特別編としてお届けします。
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答える人:梶 高明さん
『梶 古美術』七代目当主。その見識と目利きを頼りに、京都をはじめ全国の料理人が訪ねてくるという。朝日カルチャーセンターでは骨董講座の講師も担当。現在、「社団法人 茶道裏千家淡交会」講師、「NPO法人 日本料理アカデミー」正会員,「京都料理芽生会」賛助会員。
梶 古美術●京都市東山区新門前通東大路通西入ル梅本町260
kajiantiques.com/
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共に学ぶ人:梶 燦太さん
1993年、梶さんの次男として京都に生まれる。立命館アジア太平洋大学国際経営学部を卒業後、『梶 古美術』に入り、八代目となるべく勉強中。
(第1問)
もともとは料理のうつわだった?
- 梶 高明(以下:梶)
- 「さかずき」は「杯」や「坏」の文字が存在することから、木製や陶器製があると理解できます。また「盃」の漢字が示すように「不」という文字と関係が強いことも想像できます。
「不」は「~にあらず」という否定の意味だけではなく、丸みを帯びて凹んだ形状を表すようです。そこから、汁を飲む容器、皿が凹んだ形などが連想されますよね。
- 梶 燦太(以下:燦太)
- 盃には「お猪口」や「ぐい吞」という呼び方もありますが、どちらも“酒を飲むためのうつわ”に限定した表現ではないんですね。小さなうつわや湯呑のようなものが、同時に酒を吞むうつわとしても使われてきたことが伺えます。
ここに並べた5つのうつわは、桃山時代から江戸後期くらいのもの。現代の私たちには盃に見えますが、実はすべて料理や薬味のためのうつわとして使われていたようです。
手前から黄瀬戸六角猪口、鍍金(ときん)六角猪口、鼠志野(ねずみしの)草花文猪口、初期伊万里盃、古唐津酒盃。「2点は盃と呼んではいますが、それは後世に便宜上付けた名前と考えてよいでしょう」と梶さん。
- 梶:
- 平安時代の終わりには瀬戸で施釉(せゆ)陶器がつくられていたようですが、その中に盃は見当たりません。当時は木製の酒杯が流通していたので、焼物でつくる必要性がなかったからだと私は思っています。
- 燦太:
- 釉薬を施した施釉陶器は瀬戸焼から始まったと、黄瀬戸の【前編】でお話ししました。
日本六古窯の中で、瀬戸を除く備前・丹波・信楽・越前・常滑(とこなめ)の陶器は、いずれも釉薬をかけない焼締(やきしめ)です。焼締には、焼きの甘さや、土の粒子の粗さで水漏れが発生しやすい側面があります。砂や小石を噛んだ信楽などは特に水が漏れやすいので、酒器には不向きな焼物もあります。
- 梶:
- 焼締は釉薬がかかっていないので、土そのものが表面に露出しているでしょう。そこに直接口をつけることを不浄と思い、好まなかったのかもしれませんね。それで、施釉陶器を清潔で上手(じょうて)としていたと言っていいでしょう。
とはいえ、施釉陶器が木製の杯にすぐさま取って代わるようなことは起こらなかったようです。もし、茶碗のようにこの時期から酒杯が発達していたら、世の中に盃やぐい呑の名品が溢れていたでしょうね。
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