『神楽坂 石かわ』×現代作家

×竹下鹿丸vol.2【一問一答】力強さと繊細さが融合する無施釉のうつわの魅力とは?

陶芸家の父のもとで幼い頃から窯焚きの手伝いをし、自分も陶芸の道に進むと決めていた竹下鹿丸さん。釉薬を使わず、薪窯で焼かれる自然釉が生きた作品は力強くも優しさに満ち、多くの料理人から愛されています。6日間火を投じ続ける「穴窯」ならではの独特の味わいは、いかにして生まれるのか。『神楽坂 石かわ』店主の石川秀樹さんから5つの質問を預かり、酷暑の日、栃木県益子の里山にある工房を訪ねました。

文:渡辺紀子 / 撮影:綿貫淳弥 / 編集:伊東由美子

目次


Q1:陶芸に目覚めたのはいつ頃ですか?

ish0008-2a『銀座 日々(にちにち)』の個展に向けて新作を制作中の竹下さん。8割方仕上がっている状態だという。

僕の父は大学時代から南米各地の6000m超の山々に登り、探検家として南米と日本を往き来していたのですが、実家があった南伊豆で陶芸の手ほどきを受け、1975年、益子に移住して築窯しました。

陶芸家になるのはハードルが高そうに思うでしょ。でも、父の友人たちもそうですが、益子で陶芸をやろうという人たちは、「何とかなるよ」という人たちが多い(笑)。だから、物心ついた時には、周囲は自由でユニークな大人ばかり。そんな中でのびのび育ちました。僕も小さい頃は靴が嫌いで、裸足で学校に通ってました。

益子には500人ぐらい陶芸家がいるのですが、その9割は父のように外から来た人たち。もともと地の人はわずか1割ほどで、僕の世代も同じ感じです。

ish0008-2bかつて家族で住んでいた工房兼自宅は、畑の横を走る細い道の突き当りにある。現在はここで、竹下さんが作陶をしている。

小学校に上がるまでは自宅が工房も兼ねていたので、小さい時から父の手伝いをしていて、大きくなったら陶芸家になろうと思っていました。子どもからしたら、窯焚きは壮大な火遊びという感覚で楽しかったんです。

高校を出ると、「栃木県窯業指導所」(現・窯業技術支援センター)へ。1年間、ろくろを学んで独立。父が築いた登窯を穴窯に変えました。父も穴窯に興味があったらしく、一緒にやるようになりましたが、東日本大震災で窯が全壊。自分たちでコツコツ再建するのに1年かかりました。

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