世界No.1フーディー浜田岳文×和食を“変える”料理人

東京『くすのき』楠 忠師編。Vol.4 天ぷらの未来

“世界No,1フーディー”浜田岳文さんと、天ぷら『くすのき』楠 忠師さんの対談最終回。今回は、昔ながらの天ぷら店が衰退している理由、これから天ぷら店が生き残るには何が必要なのかを語り合っていただきます。

文:阪口 香 / 撮影:喜多剛士 

目次

浜田岳文さん(「株式会社アクセス・オール・エリア」代表)

1974年、兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。南極から北朝鮮まで、世界約127カ国を踏破。一年の5カ月を海外、3カ月を東京、4カ月を地方で食べ歩く。「OAD Top Restaurants」(世界規模のレストラン投票システム)のレビュアーランキングで2018年度から5年連続で1位を獲得、国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信している。

楠 忠師さん(東京『くすのき』店主)

1972年、岐阜県生まれ。15歳で割烹に入り、大正元年生まれの親方のもと、仕事の神髄を教わる。16歳で調理師免許を取得。高校の調理科を卒業後、名古屋の料亭で修業を始める。煮方を務めた後、天ぷらコーナーの担当になり、その難しさ、面白さに夢中になる。2003年に独立、名古屋で『天ぷら くすのき』を開店。18年に東京・四ツ谷に本店を構える。

これからの天ぷら店に必要なこと

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浜田:
データを見ると、天ぷら店の軒数は高度経済成長期をピークに減少していて、料理ジャンルとしては衰退傾向にあります。接待需要が減っているのも一因ですが、店主の高齢化による閉店が目立つようですね。
楠:
しかも、弟子に技術の継承ができずに辞められる方が多いと思います。大きな要因は、天ぷらが「何℃で何分」など、レシピで伝えられる技術ではないからかと。
浜田:
鮨もある意味、そういう類の料理ジャンルではありますが、今は数カ月で学ぶ専門の学校もあります。
楠:
握りは数カ月で会得できるものではないですが、魚の切り付けなどは教えやすい、学びやすい技術ですからね。
浜田:
食べ手の嗜好の変化も影響していると思います。

以前お話ししたように、昔は油が贅沢品で、ご馳走でした。しかし今となっては油切れの悪い天ぷらを食べると重たく感じるし、身体の負担になってしまいます。「今日、鮨行こう」はあるけど、「天ぷら行こう」という会話を聞くことってなかなかない。そこには、油を摂取することへの苦手意識が働いているように感じています。だからこそ“油を食べさせない”楠さんの天ぷらは、支持されているのだと思います。
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