世界No.1フーディー浜田岳文×和食を“変える”料理人

山形『出羽屋(でわや)』佐藤治樹編。Vol.4 食文化をつないでいくこと

あと数年で創業100年を迎える料理屋兼宿(料理旅館)の『出羽屋』。当代・佐藤治樹さんは料理人として影響を受けた先々代・邦治さんと共に調理場に立つことはなかったと言いますが、その皿にはしっかりと『出羽屋』周辺の西川町の文化が根付いています。いかにして受け継いだのか、そして、これから目指す『出羽屋』の在り方とは。“世界No,1フーディー”浜田岳文さんとの対談、最終回です。

文:阪口 香 / 撮影:長谷川 潤

目次

浜田岳文さん(「株式会社アクセス・オール・エリア」代表)

1974年、兵庫県宝塚市生まれ。米国・イェール大学卒業(政治学専攻)。大学在学中、学生寮の不味い食事から逃れるため、ニューヨークを中心に食べ歩きを開始。卒業後、本格的に美食を追求するためフランス・パリに留学。南極から北朝鮮まで、世界約128カ国を踏破。一年の5カ月を海外、3カ月を東京、4カ月を地方で食べ歩く。「OAD Top Restaurants」(世界規模のレストラン投票システム)のレビュアーランキングで2018年度から7年連続で1位を獲得、国内外のメディアで食や旅に関する情報を発信している。2024年、自身初となる著書「美食の教養 -世界一の美食家が知っていること-」(ダイヤモンド社)を出版。

佐藤治樹さん(山形『出羽屋』店主)

1988年、山形県生まれ。東京の大学、そして「辻󠄀調理師専門学校」に通いつつ、『つきぢ田村』で修業を積む。祖父の急逝に伴い、『出羽屋』に入る。山菜採りの名人や近くの料理人、さらに近所の伝統食を知る方々の教えを吸収し、家族・スタッフと協力しながら『出羽屋』を営む。2023年より「シェフズテーブル」を新設し、全国からお客を呼ぶ店に。「ゴ・エ・ミヨ2024」にてテロワール賞を受賞した。

文化を受け継ぎ、つないでいく

浜田:
これまで『出羽屋』、そして周辺の西川町に連綿と受け継がれてきた食文化を伺いながら、お料理をいただいてきました。佐藤さんの口をついて出るのは、このエリア特有の調理技術やそこに宿る精神性。ご祖父様と共に調理場に立つことはなかったとのことですが、どのように受け継がれたのでしょう。
佐藤:
家業を継いだのは祖父が亡くなってからで、当時僕は24歳。本来、まだまだ修業を積まなければならない時期でしたが、当時、働いていた方たちに「『出羽屋』に戻ってきてほしい」と声をかけていただき、継ぐ決心をしました。
それからは本当に周りの方々に助けられて。昔、料理番組にも出られていた素晴らしい料理人の方から献立の立て方を教わったり、「野菜は鮮度が大切だから自社農園をした方がいい」とアドバイスをいただいたり。近所のおじいちゃん、おばあちゃんには「これ、必要だろ?」と、物々交換のような感覚で食材を分けていただくこともしょっちゅうで。
浜田:
地域の方々と密に関係を築けていたことが大きいのですね。
佐藤:
祖父が残してくれた縁のおかげです。生前、祖父の周りにはいつもたくさんの人がいましたから。
社交的だったのもありますが、このエリアの人には珍しく、月に1~2回は各地に食べに行っていて、そのお土産話をしてくれました。
印象に残っているのは、山菜に対する考え方が変わった時の話。祖父が港町へ食事に行き、漁港へ寄ったら小さな雑魚が市場に並ばない、というシーンを見たんだそうです。西川町周辺は山に囲まれてるから魚は貴重。小さいからといって値が付かない、ということが衝撃的だったと。
浜田:
この辺りで動物性たんぱく質が摂れる食材は貴重ですものね。

フォローして最新情報をチェック!

Instagram Twitter Facebook YouTube

この連載の他の記事世界No.1フーディー浜田岳文×和食を“変える”料理人

無料記事

Free Article

連載一覧

PrevNext

#人気のタグ

Page Top
会員限定記事が読み放題!

月額990円(税込)初月30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です