上野修三の古典

【レシピ付き】なにわ伝統野菜の料(はか)り手として知られる上野流・天王寺蕪三部作

2021.12.03
会員限定
2
0
連載:上野修三の古典

「この天王寺蕪、立派でっしゃろ~」。直径15㎝超の大蕪を手に、上野修三さんはご満悦の様子。小説家で詩人の中 勘助(なか かんすけ)の『しづかな流』で、「さても見事な天王寺、日本一のおほ蕪」と称された天王寺蕪は、日本最古の和種蕪と言われています。江戸時代から大正期までは、大阪の天王寺村の名物として全国に名が知られていましたが、その後100年もの間、なぜか作られていませんでした。20数年前に天王寺蕪を復活させたい!と願う人たちとの交流を得た上野さんは、自身の割烹で積極的に使い始めました。今では「なにわ伝統野菜」の筆頭となった天王寺蕪。今回は、上野さんが当時から作り続けている三品をご紹介いたします。

上野修三(うえのしゅうぞう):昭和10年、大阪・河内長野に生まれる。ミナミでの修業時代を経て、1965年、『㐂川(きがわ)』を創業。なにわ伝統野菜を発掘するなど、大阪らしい料理を追求し、浪速割烹のカタチをつくる。60歳で開店した『天神坂上野』は伝説の割烹として名を馳せた。現在は、なにわの食文化を綴る随筆家としても活躍。近著に「浪速割烹㐂川のおいしい野菜図鑑」春夏編・秋冬編(共に西日本出版社)がある。

聞き書き:中本由美子 / 撮影:東谷幸一

shu0009a

天王寺蕪の柚子味噌焼——厚めに切って、皮ごと焼き上げる

「わしの母ちゃん天王寺蕪、色が白うて背が低い」という俗謡がおますけど、まったくその通りですなぁ。葉茎は立派で長いけど、根は扁平(へんぺい)。上から押されたように、平ぺったいんだす。

天王寺蕪は、四天王寺の僧坊が食べるために栽培したのが始まりで、大坂冬の陣で大火事から種倉を守った民の働きを称えて、民間でも作られるようになったそう。年末年始、竹垣に蕪を並べて干す光景は、天王寺村の冬の風物詩。この干し蕪を味噌汁にして、節分の日に無病息災を願って食べたと聞きますな。
水分をたっぷり含んだ蕪でっさかいネ、干して食べると味が濃縮して確かに旨い。私ゃ、半干しにして、よく味噌焼にしたもんだす。今日は、長居公園の近くで代々続く『西野農園』からごっつう立派なんが届いたので、みずみずしさを生かして直焼きでいきまひょ!

この記事は会員限定記事です。

月額990円(税込)で限定記事が読み放題。
今なら初回30日間無料。

残り:2617文字/全文:3511文字
会員登録して全文を読む ログインして全文を読む
この記事をシェアする twitter facebook
コメント
0

この記事にはまだコメントがありません。
あなたの感想をぜひお寄せください。
会員機能について詳しくは「WA・TO・BIについて
をご覧ください。


無料記事

Free Articles

連載一覧

PrevNext

#人気のタグ

Page Top
今すぐ無料でお試し!

月額990円(税込)で限定記事が読み放題。
今なら初回30日間無料。