日本料理のことば

「松花堂弁当」の「松花堂」とは? 名前の由来と歴史をひもとく

松花堂弁当は、日本料理を代表する弁当形式の一つです。十字に仕切られた箱の中にご飯や造り、焼き物、煮物などを盛り込み、多彩な料理を一度に楽しめることが特徴です。その名は江戸時代初期の僧侶・松花堂昭乗に由来し、弁当に用いられる仕切り箱も昭乗ゆかりの四つ切りの箱がもとになったといわれています。今回は、「松花堂」という名の歩みをたどりながら、その背景にある歴史や文化について見ていきましょう。

文:「辻󠄀静雄料理教育研究所」今村友美 / イラスト:松尾奈央(Factory70) / 協力:辻󠄀調理師専門学校

目次

「松花堂」は、もともと草庵の名前だった

もともと「松花堂」とは、江戸時代初期の文化人・松花堂昭乗(1584~1639)が晩年に営んだ草庵の名です。石清水八幡宮の社僧であった昭乗は、書や絵画、茶の湯に優れ、近衛信尹、本阿弥光悦とともに「寛永の三筆」の一人として知られています。

当時の石清水八幡宮には、「坊」と呼ばれる僧侶の住まいが数多く建ち並んでいました。昭乗は住職を務めていた瀧本坊を弟子に譲った後、泉坊の一角に小さな庵を構え、そこを「松花堂」と名づけます。昭乗は小堀遠州や石川丈山、沢庵宗彭ら当代一流の文化人たちと交流し、茶会を通じて身分を超えた文化交流の場を育みました。とりわけ瀧本坊には遠州の助力によって茶室「閑雲軒」が設けられ、多くの茶会が催されたと伝えられています。閑雲軒は昭乗の茶の湯を支えた中心的な舞台であり、そこでの交流は寛永文化を象徴する文化サロンのような役割を果たしました。

これに対し、「松花堂」は昭乗が晩年を過ごした隠居所であり、もともとは茶室ではありませんでした。しかし後世になると、閑雲軒の焼失後に露地や待合が整備され、茶の湯の場としても親しまれるようになります。こうして「松花堂」の名は、昭乗の文化や茶の湯の精神を伝える象徴として受け継がれ、やがて昭乗その人を指す呼び名としても広く知られるようになったのです。


松花堂昭乗ゆかりの「四つ切りの箱」とは?

一方で、「松花堂弁当」の原型とされる四つ切りの箱については、意外に分からないことが多く残されています。昭乗の遺品として伝わる記録には絵具箱を思わせる記載があり、18世紀の茶会記には十文字に仕切られた春慶塗の煙草盆が見えます。しかし、その箱が本来どのような用途で作られたのかは明らかではありません。煙草盆だったのか、絵具箱だったのか、あるいは別の用途があったのか。薬箱や種箱として語られることもありますが、そこには後世の伝承も少なからず含まれているようです。

このように、昭乗ゆかりとされる四つ切りの器の実像には不明な点が多く残されています。しかし、その器が昭乗や瀧本坊と結び付けて語られ、後世の人々の関心を集め続けてきたことは確かでしょう。明治以降、松花堂の遺構や遺品は保存されるだけでなく、移築や整備を通じて新たな環境のなかに再構成されました。大正時代には茶人や実業家らによって「松花堂会」が結成され、昭乗の遺風を顕彰する活動も行われています。松花堂は、歴史的遺構であると同時に、近代の文化人たちが集う場として新たな命を吹き込まれていったのです。


『𠮷兆』湯木貞一が、四つ切り箱を料理の器に

そこで登場するのが、料亭『𠮷兆』の創業者であり、戦後の日本料理界を代表する料理人の湯木貞一です。昭和初期、湯木は八幡の茶室で見た四つ切り箱に着想を得て、これに料理を盛ることを思い立ったと後年の著作で回想しています。ただし、その回想を読み比べると、箱の説明は必ずしも一様ではありません。煙草入れと記されたり、薬入れと語られたり、御斎(おとき)の器として見たという話もあります。当時すでに昭乗にまつわるさまざまな伝承が重なり合っていたことを考えれば、湯木自身が目にしたものもまた、歴史と記憶が折り重なった存在だったのかもしれません。

興味深いのは、昭和11(1936)年の新聞記事では、この器が弁当としてではなく、「松花堂好みの膳」に盛った「𠮷兆前菜」として紹介されていることです。少なくとも当初は、点心や前菜を盛るための器として活用されていた様子がうかがえます。その後、茶会や法要、会席の席などで使われるなかで、今日私たちが知る松花堂弁当の形式へと整理されていったのでしょう。

また、器の成立をめぐっては別の証言も残されています。漆器商・象彦によると、八幡に邸宅を構え、松花堂庭園の整備や松花堂昭乗の顕彰、泰勝寺の創建などに尽力した西村芳次郎が、四つ切りの器に蓋を付けて来客用の点心に用いており、これをもとに七代象彦が寸法を整えて「松花堂縁高」を製作したという話です。現在の松花堂弁当の器が一人の着想によって突然生まれたものではなく、多くの人々の工夫の積み重ねのなかで形づくられていったことをうかがわせます。


「松花堂弁当」は、どのように生まれ広まったのか

「誰が松花堂弁当を考案したのか」という問いに答えを求めたくなりますが、その成立は単純ではありません。昭乗ゆかりの四つ切り箱を出発点に、多くの人々の工夫を経て現在の形になったと考えられます。

その中で、湯木貞一が果たした役割は小さくありません。茶の湯や数寄の文化に深い関心を持ち、料理を単なる食事ではなく美を表現するものとして考えていました。八寸では漆器をキャンバスに見立て、絵を描くように料理や季節の素材を配置したといわれます。そのような美意識を持つ湯木だからこそ、八幡に伝わる四つ切りの箱に料理の器としての可能性を見いだしたのでしょう。

湯木の周囲には野村徳七(徳庵)や小林一三(逸翁)ら数寄者たちがおり、茶事の懐石や点心を任される機会も少なくありませんでした。そのような環境のなかで、四つ切りの箱に料理を盛る工夫が生まれ、やがて「松花堂弁当」として広く知られるようになったのです。四つ切り箱や器の由来には諸説あるものの、それを日本料理の器として磨き上げ、「松花堂弁当」の名とともに全国へ広めたことは、湯木の大きな功績といえるでしょう。

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