×川淵直樹vol.2【一問一答】アウトローな精神が育む、原土の味わい
青年期に培われたアウトローの精神は今も健在。独自の世界を無手勝流で築き上げた孤高の陶芸家・川淵直樹さんのアトリエは、京都の南、奈良との県境に近い、山深いところにあります。原始的な蛇窯(じゃがま)とガス窯を使い分け、南蛮焼の他にも粉引、刷毛目、鉄彩、野焼き、焼き締め瓷器(じき)など、作風は実に多彩。共に創作に励む娘・明日香さんと、今も精力的に活動を続けています。そのエネルギーはどこから来るのでしょう。『神楽坂 石かわ』店主の石川秀樹さんから5つの質問を預かり、答えていただきました。
Q1:陶芸の道に入られたきっかけは?
「心強くもあり、ライバルでもある」という娘・明日香さんと川淵さん。
やきものを始めたのは不純な動機からでした。僕が大学生の頃は学生運動真っ盛りの時代。全共闘の代表みたいなことをしていて、卒業後もしばらくは学生運動に関わっていたんです。気がつけば27歳。かみさんと出会って一緒になろうってことになったんだけど、挨拶に行くにも仕事を持っていなかった。
何かでっち上げなきゃと、実家の知り合いの赤膚焼(あかはだやき ※1)の窯元に入ったんです。そしたら、ハマっちゃって。社会と離れたところで、始めから終いまで一人で一貫してやれる仕事でしょ。それもよかったんですね。
職人さんたちは規格と一寸違わず、同じものを作っていました。それはそれで素晴らしい技術なんですが、手で作ったことが分からないくらい、ピシッと揃えることをよしとしていて、段々と疑問が湧いてきた。
それなら人の手でなく機械でいいんじゃないかと思い始めたら、ここで学びたいことはもうないと思って、1年も経たないうちに自分でやることにしたんです。“職人の手”になることも避けたかったですし。
※1赤膚焼:奈良市五条山一帯の丘陵で作られてきた歴史あるやきもの。江戸時代の茶人・小堀遠州が指導したとされる7つの窯「遠州七窯」の一つ。
野焼きの急須。1個1個手作りゆえ、また露天での野焼きゆえ、一つとして同じものがない。野焼きは、露天で素地に燃料の草木を被せて焼く、最も原始的な方法。縄文や弥生土器なども野焼きで作られた。
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