名宿に郷土の幸あり

岡山の湯宿『奥津荘』の冬の名物・ボタン鍋コース

鳥取県境に近い岡山県北部。美作(みまさか)三湯の一つ・奥津温泉は、山間に流れる吉井川に沿って旅館や民宿が並ぶ静かな温泉郷です。その中ほどに建つ『奥津荘』は、昭和2年の創業。唐破風(からはふ)屋根が勇壮な木造2階建ての本館は、2018年に有形文化財に登録されました。多くの客の目当ては、日本屈指の足元湧出(ゆうしゅつ)の温泉。足元からポコリポコリと湧き出る“生(き)の湯”は、美人の湯で知られます。奥津という土地と旬を大切にした料理にも定評があり、冬の名物は地元で獲れた猪肉の鍋。本場のジビエの食べ方をご紹介します。

文:団田芳子 / 撮影:太田恭史

唐破風の館に鍵湯あり

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静かな温泉郷・奥津温泉の中で、優美な曲線を描く豪壮な屋根が、ひときわ目を引く。「唐破風と言って、この先に極楽浄土があるという印だそうです。神社や昔の銭湯によく見られますね」とは、『奥津荘』四代目・鈴木治彦さん。この宿には、まさに「極楽極楽」と呟いてしまう素晴らしい湯がある。

大国主命(おおくにぬしのみこと)の命により地方を巡視中の少彦名命(すくなひこなのみこと)が発見したと伝わる古い歴史ある温泉は、吉井川の川辺に自噴する湯。洗濯物をこれで洗えば洗剤要らずで真っ白になり、肌には美白の効果があるとされる。

江戸時代には、津山藩主・森 忠政公が、番人を置いて鍵を掛け、市井の人々の入浴を禁じて独り占めした。村人は悔し紛れに、これを「鍵湯」と呼んだとか。

400年前、殿様専用だったその湯は、今もこの宿の地下に湧いている。
鍵湯は川辺に自噴する源泉の真上に作られ、日本屈指の足元湧出の湯が楽しめる。底からポコリポコリと上がる気泡は、まさに地球の息吹。pH9.2というアルカリ性の泉質は、サラサラとまるで絹のように柔らかだ。

この湯が満ちる湯殿は、鍵湯の他、120㎝の深みのある湯船に立って入る「立湯」があり、貸切りの家族風呂も2つ。登録有形文化財の木造2階建ての本館と、渓流沿いの離れには、露天風呂付き和洋室など、様々な表情に設えた8つの客室がある。

mei0003-1b鍵湯の湯殿は、昭和2年創建当時のままのタイル貼り。加水加温循環もしないピュアな湯は、一期一会、この日だけの湯。

mei0003-1c吉井川の流れによる自然のままの岩のくぼみを活かして、立ったまま入浴できる立湯。時間によって男女入れ替え制なので、泊まり客はどちらの湯も楽しめる。

温泉の恵みはコースの料理にも

川に面した食事処でいただく夕食は、岡山産の食材と調味料を駆使した、季節ごとに選べる9つのコースが用意されている。冬に人気があるのは「ボタン鍋コース」で、先付、前菜、造り、名物料理、鍋物、お食事、水菓子の構成だ。

『奥津荘』の厨房には、栓を捻ると温泉が出る蛇口がある。
「煮炊きものはもちろん、野菜を茹でても、お茶を淹れても、まろやかで美味しくなります」と、2022年夏からこの宿の厨房に立つ料理長の大寺秀也さん。

岡山出身で、ホテルや旅館、大阪の割烹など日本料理一筋に来た53歳。「最初はよく分からなかった温泉水の美味しさが、飲むほどに分かってきた」と言う。

その温泉の源泉で蒸し上げる名物料理がある。
薯用(じょうよう)蒸しは、地元名産の自然薯に少し長芋を足し、だしでのばして、隣町の津山の香り高い淡口醤油でほんのり味を付けている。とろりふんわりお腹が優しく慰撫されるような味わいだ。

強(こわ)蒸しも同様。もち米に山菜、サツマイモ、栗、キノコを合わせて温泉で蒸すだけで、味付けは塩のみなのにやけに美味しい。

mei0003-1d料理はすべて「ボタン鍋コース」から。食前酒代わりの梅酢の源泉割りの後、先付は柿の器で、柿とムカゴの白和え。前菜は河豚(フグ)白子豆腐、瀬戸内に揚がる小さい赤貝のような貝で、岡山ではばら寿司や雑煮に欠かせないという藻貝(モガイ)を分葱(ワケギ)とぬた和えに。ナマコみぞれ和え、太刀魚柚庵焼き、バイ貝旨煮。

mei0003-1e創業以来作り続けているという名物の薯用蒸しと強蒸し。ずべてのコースで供される。薯用蒸しの中には穴子が潜んでいる。

地元の猟師が届ける猪肉を

さて真打ち、ボタン鍋。
「自分は子供の頃から豚肉より猪肉が好き」という宿主・鈴木さん。「ジビエはまだそれほど根付いていないと思います。日本海へカニ食べに行こうという感じで、山にジビエを食べに来る人は多くないので…」と嘆くが、この日、満席の食事処では、すべての卓にボタン鍋が運ばれていた。

『奥津荘』が扱う猪肉は、地元の猟師・聖岩(ひじりいわ)寛志さんから届けられたものだ。「誰に聞いても、聖岩さんが仕留めて、血抜きしたのが別格に旨いと言いますよ」と、鈴木さんは絶対の信頼を置いている。

「11月15日から12月いっぱい、発情期に入る前までに獲れた中から、質の良いものだけを持ってきてくれます」。
それを、専用の大きな冷凍庫に保存してある。

「猪は脂が旨いんです。メスは肉質が柔らかく食べやすいけど、オスの方が脂は分厚いんですよ」と鈴木さん。今日は、メスとオスのロース肉を混ぜて、美しいボタンの花となって登場だ。

地元の人はバーベキューにもするらしいが、宿ではあっさりとした味噌仕立ての鍋で。獣臭さなどみじんもなく、確かに脂がたまらなく甘くて、しつこくないのでいくらでも食べられる。猪肉のパワーか、ポカポカと身体の内側から熱くなるよう。活力が漲ってくる。

mei0003-1f外側の花びらがオス、中がメス。脂の厚みの違いがよく分かる。

mei0003-1g日高昆布とカツオ節のだしに、津山の淡口醤油・みりん・合わせ味噌で調味。野菜は白菜、ささがきゴボウ、糸コンニャク、粟麩、豆腐、白ネギ、水菜、シメジ、エノキ茸。岡山名産の黄ニラは、軽快な歯応えがありつつ、甘く柔らかく、猪肉の脂をまとって大変美味。締めは「岡山で手延べと言えば」の鴨方うどん。稲庭うどんのような平たい麺は、もっちりとして食べ応えあり。

小猪のスペアリブは二通りで

小猪のスペアリブが別注メニューにある。通常、3歳以上で50~60㎏程度が美味しくなるサイズとされているが、スペアリブは25~30㎏の小さい猪のアバラ肉だ。

『奥津荘』では、タレ焼きと香味焼きの2種を用意している。
タレ焼きは、サラマンダーで素焼きして、地元の濃口醤油とたまりの2種に砂糖と酒で照り焼き風に仕上げる。


香味焼きは、フライパンで。ショウガ、大葉、しば漬けを刻み、乾煎りして水分を飛ばして酒と醤油でコクをつけ、焼き上がりに肉汁と絡めたもの。
どちらも骨周りをガジガジと囓ると野趣溢れる味わいだ。

mei0003-1h左から香味焼き、タレ焼き。どちらも地元の新鮮な野菜がたっぷり添えられている。各3850円。

「そずり鍋」なる郷土の味も

隣の津山は、昔から山陰と山陽を結ぶ交通の要で、8世紀には農耕や輸送に使う牛の市が開かれていたとか。肉食が禁忌とされた江戸時代も、薬として食べる“養生食い”が盛んで、現在も牛肉を使った郷土料理が多い。B級グルメとして有名な津山のホルモンうどんも、そんな食文化の中から生まれたものだ。

『奥津荘』で牛肉を使った郷土料理として供す「そずり鍋」もその一つ。
そずり肉とは、牛の骨周りの肉を削いだもの。削り取ることを岡山弁でそずるというらしい。「髪の毛をそずるとも言うんですよ(笑)」と鈴木さん。

「津山や奥津では、肉屋やスーパーで普通にそずり肉が売られています。この辺の人は野菜炒めに使ったり、そずりカレーなんかもあります」。

『奥津荘』のそずり鍋は、カツオ節昆布だしと牛の骨や筋から取ったスープを同割で合わせ、淡口醤油とみりんで味付け。骨から削り取った肉だけでは足りず、こま切れやステーキの端肉なども混ざっていて、結構大きな塊肉も入っている。

そこに、姫とうがらしを1本。一緒に炊くと肉の旨みを引き締める効果大だ。
姫とうがらしとは、奥津地域でのみ栽培されている日本古来の固有種。南米原産の小粒の姫唐辛子とは別種のようだ。ほぼ国産はないはずの唐辛子が奥津で栽培されているとは。1本15㎝ほどの大きな唐辛子で、遅れて辛みがくるのが独特だ。

「昔、田んぼの雪の上にブルーシートをして寒ざらししてたのを覚えています」と鈴木さん。平成10年から地元有志によって、特産品として売り出そうと、ドレッシングや七味唐辛子など加工品も工夫されている。

mei0003-1i肉食が庶民に根付いているからこそ生まれた郷土料理の一つ「そずり鍋」。しゃぶしゃぶやすき焼きとは異なる、牛肉のコクと深みのあるだしを味わう鍋だ。具材はボタン鍋とほぼ一緒。

創業80余年、名宿の行く道

『奥津荘』は、訪れるたびに進化している。
客室を一つ一つ改装したり、2020年には宿の向かいの築100年の古民家をリフォームしてカフェを新設。夕食後に文化財の本館を愛でつつワインや地酒を一杯なんて、洒落た時間が過ごせるスペースができた。

宿の会や地元の青年部の役職も積極的に担い、一方で日本全国の宿を泊まり歩いて、良いと思うものはすぐさま取り入れる四代目・鈴木さんの努力と気概の賜物だろう。

料理にも地元の食材を生かして持ち味が際立ったよう。鈴木さんが子供の頃から親しい猟師さんが、「一番ええのをこの宿に」と届けてくれる猪肉はその代表格だろう。

鈴木さんは45歳。『奥津荘』はきっとまだまだ変わり続ける。けれど、唐破風屋根のように「潰してしもたらもう作れない」ものがあることも、この四代目は知っている。
「地元の食文化もそうですが、ここにしかないいいものは進化させて伝え、宿という場所の地位をもっと高めていきたい」。

mei0003-1j『奥津荘』四代目・鈴木治彦さん(右)と、冗談好きの明るいキャラクターの料理長・大寺秀也さん。

mei0003-1k吉井川のほとりに建つ離れ・清閒(せいかん)亭の居間。書院造りのこの部屋は昭和30年代築造。縁側に露天風呂がある。「鍵湯にちなんで鍵穴型の湯船なんですが、前方後円墳と間違われます」と鈴木さん。

mei0003-1l清閒亭は、2020年12月にリニューアル。ベッドルームは、岡山のデニムをあしらってモダンな雰囲気に。平日1泊2食付き47300円~(同室は現在改装中、4月よりオープン予定)。

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