色、形、風味さまざま。約40種のイチジク栽培
「こっちの列が『グリーン』。向こうは『ピンポン』。そっちのは『くり』と呼んでいます」。
両脇を稲田に挟まれたイチジク畑を案内してくれたのは『九果園』の代表・谷尾 薫さん。
「これなんか、十字に割れたところから蜜が沁み出してます! もうすでに美味しそう」と『味の風 にしむら』のご主人・西村宣久さんが指を差した実に、谷尾さんがそっと触れ「これは明日には収穫できそうですね」とにっこり。
西村さんが『九果園』に出合ったのは、奈良市の日本料理店『奈良 而今(にこん)』の店主・清水唱二郎さんの紹介だった。
「ウチの店がある桜井市に、色も形も味も、こんなに個性さまざまなイチジクがあると教えてくださって。昨年から使わせてもらっているんです」。
『九果園』は、橿原(かしはら)市と桜井市にまたがるエリアに7つの畑を持つイチジク専門の農園だ。この日訪れた桜井市山田にある畑は、元は田んぼだった場所。有機質肥料100%栽培を行うため、牛糞(ふん)や腐葉土を混ぜた土に入れ替え、そこに樹を植え4年目を迎えたところという。「2tトラックで50台分以上の土を運び込みました」と谷尾さん。
農薬も、奈良県が定めるガイドラインの50%以下という減農薬栽培だ。「樹上で完熟させ、皮ごと食べていただけるように育てています」。樹に成っているイチジクを見れば、すでに皮が割れているものや、はちきれんばかりに膨らんでいるものがたくさんある。「甘味も酸味も日々変化するんです」と、谷尾さんが実を一つずつ、そっと手で支え持つように触れながら言う。収穫はタイミングが命だ。
8月から11月。イチジクが旬の時季、谷尾さんの1日は深夜2時に始まる。
軽トラで7つの畑を順々に巡り、一つ一つの実を目で見て、時には触れて、完熟したものを丁寧に摘み取っていく。
「早すぎてもダメ、かといって1日でも遅れると熟れすぎてしまう。ピークを見極めるポイントは、手のひらに伝わる微妙な感触だけ。こればっかりは妻にも伝えられないので、収穫は自分1人でやっているんです」。
作業は夜が明けるまでの数時間が勝負だという。「太陽にあたると、たちまち傷みやすくなってしまうので」。
なんと過保護な…と思うが、皮の薄い完熟イチジクは雨粒でも表面が傷んでしまうぐらいデリケートなのだ。
イチジクに魅せられ、ついには専業農家に
沖縄生まれの谷尾さんが、初めてイチジクに出合ったのは大学進学で奈良に来てからのこと。「イチジクってこんなに美味しいものなんだ!とビックリしました」。
その感激はいつしか強烈な興味へと変わり、独学で研究を始める。
初めは大学卒業後に就職した会社で働きながらだったのが、ついには会社を退職。農業大学で農業の基礎から学ぶことに。その時点で、すでに大学時代に知り合った妻・美都里さんとの間に、今年19歳になる娘さんも生まれていたというから、なかなかな無鉄砲さだ。
「日本で栽培されているイチジクは、ほとんどが『桝井(ますい)ドーフィン』という品種ですが、世界には300品種以上もあると言われています。酸味のあるものもあれば、ねっとり濃厚な味のものもある。他の人が育てていないなら、自分で育ててみたいと思ったんです」。
とはいえ、珍しい品種のイチジクを栽培している農家は少なく、すべてが手探り。「今は38品種を育てていますが、出荷できるまで育っているのは20品種ぐらい。中には、10年以上手をかけ育てた樹でも、思うように実がつかず断念したものもあります」。
水の管理や枝葉の剪定、枝造りなど、それぞれの特徴に合わせた栽培方法を見つけるまでには最低でも3年、未知の品種に至っては、さらに時間がかかることもザラだという。
「『くり』や『オレンジ』、『グリーン』などは、ここ数年、ようやく安定してきた品種です」。
ちなみにこの名は、谷尾さんがネーミングした通称だ。
「もちろん正式名称はありますが、長かったりして覚えにくいので、勝手に呼んでいるんです(笑)」。
彩り鮮やかなイチジクで、料理のイメージも広がる
畑から持ち帰った朝採れイチジクで、西村さんに料理を作ってもらった。
一品目は、天ぷらにした「オレンジ」に奈良県産の軟白ずいきと胡麻豆腐を合わせ、練り胡麻を使ったあんを流し、振り柚子をパラパラッと。
「『オレンジ』は、小ぶりなので丸ごと揚げました」。衣をつけて加熱したことで味がギュッと凝縮、甘味がより深くなる。
「ゴマとイチジクは相性の良い組合せなので、あえて利休あんに。優しい味に仕上げているので、イチジクの甘味もより際立つと思います」。
二品目は、定番品種の「桝井ドーフィン」を炭火で焼き、酒粕と醪(もろみ)を合わせた味噌で田楽仕立てにした一皿。
「『九果園』さんの『ドーフィン』は、完熟で皮も薄いので、そのままで美味しいけれど、火を入れるとシナモンのような独特な香りが立って、果肉はさらに蕩けるように柔らかく、なめらかな食感になるんです」。
確かに炙っている焼き台から、スパイスのような芳しい香りが漂ってくる。
目の前に登場した皿には炙った葉が添えられていて、イチジクの甘い香りがふわり。田楽に箸を入れると、とろりと柔らかく、深みを増した甘さとねっとりとした舌触りがたまらない。濃醇な日本酒が欲しくなる味わいだ。
「デザートには、こんなのを作ってみました」。いたずらっ子のような笑顔で西村さんが出してくれたのは「くり」と呼ぶイチジクを使った和スイーツ。
「旬の栗とイチジクの『くり』の出合いもの。“『くり』の栗きんとん”です」。
フレッシュなイチジクの「くり」に、和三盆で甘みを入れた栗きんとんがたっぷりとトッピングされている。繊細な甘さのきんとんに、イチジクの優しい甘みがより添い上品な味わいだ。
試食した谷尾さんも「僕はほのかな酸味のある『くり』が大好き。栗きんとんの甘さとのバランスで、その個性が際立って最高です!」と大感激。
「イチジクによっては焼くとキャラメルのような香ばしい甘みが出ることもあって、そういう時は、熱々のイチジクに冷たい豆乳アイスを合わせて出すんです。白和えっぽい味になって、これも美味しいんですよ」と西村さん。
「彩りも鮮やかだし、大きさも味わいもバリエーション豊かなので、料理のイメージも膨らみます」と言う西村さんの言葉に「実は…」と切り出した谷尾さん。
「露地栽培のイチジクは、天候に大きく左右されるのが宿命。もちろん自信を持って出荷はしていますが、長雨などでどうしても甘みや香りが淡くなってしまうこともある。西村さんに『ダメな時は、そう言うてくださいね』と伝えたら『イチジクの味に合わせて、より美味しくするのが僕らの仕事ですから』と言ってくださったんです」。
西村さんの言葉に胸を打たれると同時に、それ以来、プロの技を信じ、安心してイチジクを届けられるようになったと言う。
丹精込めて育てた我が子のようなイチジクが、料理人の手によってさらに美味しさを増す。
農家の想いと料理人の技が重なり結実した瞬間、その一皿は食す人の心を大きく揺さぶることだろう。
『味の風 にしむら』
【住所】奈良県桜井市粟殿1023-3 スミヨシ住宅105
【電話番号】0744-42-7773
【営業時間】11:30〜13:00、18:00〜20:30LO
【定休日】月曜
【お料理】2022年より、昼/コース5500円、夜/コース11000円〜。
左上から時計回りに桝井ドーフィン、オレンジ、りんご(2個)、くり(2個)、桝井ドーフィン、ピンポン(2個)、オレンジ(2個)、グリーン、真ん中は最も実が成りにくいという黒イチジクのダイヤ(桝井ドーフィン以外は『九果園』での通称)。 「オレンジ」の天ぷら利休あん。揚げることで熟した実がさらにねっとりとして、あんとの一体感もより一層増す。柚子の香りがイチジクのほのかな酸味と相まって爽やか。
炭火で炙ったイチジクの葉にイチジク田楽をのせて。濃厚でリッチな甘さの「桝井ドーフィン」に酒粕入りの味噌の甘味が重なる。ポリッとした松の実のアクセントも小気味良い。 ほのかな酸味が魅力の小粒なイチジク「くり」に、蒸して裏ごしした栗を合わせた“「くり」の栗きんとん”。10月のおまかせコースに入る予定。 「それぞれの個性を生かしつつ、イチジクの存在感もたっぷり。西村さんの手でさらに美味しくなった料理をいただくのは、育てた者として最高に幸せな瞬間です」と谷尾さん。
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