【レシピ付き】東京・銀座『未能一』其の三:鯛の塩煮
銀座は古い雑居ビルのひと隅に美味しい割烹が潜んでいます。夫婦二人でひっそりと営む『未能一』も、そんな一軒。さんざん遊び倒した旦那衆が、いぶし銀の旨さを求めて通います。客が飲み、食べるペースを見計らって、御年76歳の主人・巽(たつみ)保次さんが出すおまかせスタイルの酒肴は、華やかな食材を使わない代わりに上等なものを選び、寄り添うように味を含ませています。「鯛の塩煮」は、まさにその典型。醤油や砂糖はもちろん、昆布や酒も使わず、塩と水だけで絶妙な味に仕上げます。
柏原光太郎(かしわばらこうたろう):1963年東京生まれ。慶應義塾大学を卒業後、株式会社文藝春秋に入社。『東京いい店うまい店』編集長、食のEC『文春マルシェ』立ち上げの後、独立。食の社交倶楽部「日本ガストロノミー協会」を設立し、会長に。食べログフォロワー5万人以上。外食産業、地方創生関係者との繋がりも深い。著書に『ニッポン美食立国論』(日刊現代)。
天然鯛の持ち味を塩だけで引き出す
鯛の頭のあら炊きは濃口醤油や砂糖でこっくりと甘めに炊くのが定番で、臭い消しにショウガを入れて、と指南するレシピも多い。昆布や酒、塩でアラを潮煮にする場合もあるが、『未能一』の主人・巽 保次さんは塩と水しか使わない。
私がこの料理を初めて食べたのは、『未能一』に通い出した15年ほど前。
「今日はいい鯛があるので頭を炊きますか」と巽さんに提案された私は、甘辛い醤油味を想像していたが、巽さんからはこんな返事が返ってきた。
「いい鯛なのに、醤油や砂糖を入れて煮ると鯛の味を殺してしまうじゃないですか。昆布や酒だって、鯛の味わいをジャマする。塩だけで炊くのが一番美味しいんです」。
カウンターから覗いても、本当に塩しか使わなかった。しかし、巽さんが言うように、鯛の持つ滋味がストレートに感じられる料理だったのだ。骨から出るだしなのだろうか、塩と水だけで煮たとは思えない旨さを舌に感じる。まさに、「鯛そのものを食べた」と思わせる味だった。
徹底した下処理で雑味のない味に
この日の鯛は千葉で揚がった1.2㎏の天然真鯛。
「長年の勘というか、姿かたちのバランスがいい鯛を選びます。サイズはこのくらいがちょうどいいですね」と巽さん。
ウロコを取った鯛の頭には塩をせず、そのまま塩水で煮上げるが、下処理は徹底している。ペーパーを何度も変えてすみずみまで丁寧に血を取り除いているのだ。
「そもそもきちんと血抜きされた鯛を仕入れていますが、それでも血が残っているので、徹底的に掃除をする必要があります。この血が臭みとなって煮汁に出るので」と、巽さんは説明してくれる。
御年76歳の巽さん。昭和61年に銀座で独立し、37年が経つ。
薄味で一気に、強火で炊き上げる
塩水をひと煮立ちさせたら、鯛の頭を入れて一気に強火で炊き上げる。塩は6合(1080㎖)の水に対してひとつまみ弱。少なく感じるかもしれないが、煮詰めていくと塩分が濃くなるし、旨みは鯛の骨や身からも出る。
煮汁がなくなるまで20分ほどかけて煮るのだが、下処理がきちんとされていればアクはほとんど出ないという。煮汁を小まめにかけながら煮るため、付きっ切りの仕事だ。最終的に味がちょうどよくなるよう、途中で塩が足りなければ足すこともある。煮汁が最後にはアサリだしのように真白になることに驚く。
皿に盛ったら、スダチ2個をたっぷりと搾って完成。極めてシンプルな料理だが、食べてみると、これこそ日本人が一番旨いと声を揃える鯛の味だということが分かる。
バブルの頃は、常連客がホステスを何人も連れてこの料理を注文し、自身は目玉の周りだけをつまんで、あとは彼女たちに食べてもらう。そんな光景をよく見ました、と巽さんは笑う。確かに頬のあたりの旨みは抜群だ。
日本料理人歴60年の潔い仕事。極めるとシンプルな仕事に行き着くという典型のような料理である。
巽さんが使うのは、「伯方の塩」の粗塩。塩カドがなく、ほんのり甘みを感じる塩だ。
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