“才色兼備”のおろし金
幾何学的に並ぶ幾千ものオレンジ色の〝瞳〟が光にキラキラと瞬いている。
そのおろし金は、銅に錫(すず)をコーティングした鏡面仕上げ。彫り上げた“目”からのぞくのが銅のオレンジだ。「鏡面仕上げにすることで衛生面やデザイン性にもこだわりました」。そう語るのは、スタイリッシュなおろし金で、2018年グッドデザイン賞を受賞した『紀州新家』の代表・新家崇元さんだ。
手打ちのおろし金ならではの抜群の切れ味に加え、量産型のチリトリタイプに比べてすりおろせる面積を広く、濡れた手でも滑らないよう機能性も高めた。
和歌山県橋本市。紀ノ川の南側に広がるのどかなエリアにある新家さんの工房は、物置の一画を改装したわずか1坪ばかりの空間。「この銅板の表面に、鏨(たがね)を打ち込んで、一つひとつ掘り起こすようにして、目を立てていくんです」。そう話しながら作業台に向かうと、錫をコーティングした銅板に鏨を当て、カンカンカン、カンカンカン…。表面をツルツルに磨いた硬い銅板には、そうやすやすと目など立つものではない。そこに打ち込む鏨は、市販品ではなく最高硬度の鋼材を用いた自作。職人にとって重要な道具だ。鳥のさえずりを打ち消し、鼓膜を震わせる金槌の音をリズミカルに刻んでいく。
一見すると寸分の狂いもなく揃った間隔に見えるが、そこは手打ち。よく見れば微妙に不揃いなのがわかる。この微妙な誤差によって刃が食材の様々な面にあたるため、軽い力で上下にすりおろすだけでいい。
目の大小や形状、幅などを変えることで、ふわふわの淡雪みたいな大根おろしから、竹でおろした鬼おろしのようなザクザクとした食感のものまで。また、1枚の中に2種の目を立てることで、違った食感を混在させることも可能だ。「調理器具では脇役のおろし金も、その表現は多彩なんです」。
京都を代表する老舗料亭の一軒、『一子相伝 なかむら』の中村元計(もとかず)さんが、初めてこのおろし金を手にした時の印象をこう語る。
「想像以上に切れ味が鋭くて、それなら、と試した完熟トマトさえ難なくすりおろせる。いっそ、コンニャクとかパイナップルとか、今まですったことのないものも試してみたくなるね」。
これまでにない切れ味が、料理人の発想を刺激し、新しい料理へのインスピレーションを掻き立てる。それを裏付けるかの如く、今では『菊乃井』を始め、『祇園 さ々木』や『木乃婦』、関西のみならず静岡の『てんぷら 成生(なるせ)』、東京・芝公園の人気店『くろぎ』など、名だたる店でも使われている。
だが、新家さんがこの道に入ったのは、わずか数年前というから驚きだ。
0.5秒の閃きで、人生一転
約30年間、建築や造園を生業としてきた新家さん。2017年4月、とあるテレビ番組でおろし金職人の存在を知ったのを機に人生を一変させた。もともと伝統工芸には興味があり、「いつか腕一本で世界一のものを作りたい」という漠然とした目標はあったが、「画面に銅製のおろし金が映った瞬間、完全に一目惚れ。『これだ!』と閃いたんです」。
そこからの行動は電光石火。翌日にはテレビで観た工房へ車を飛ばし見学。インターネットの動画サイトを見ては試作を繰り返し、主婦の声を聞き、研究を重ねた。「一番のお手本になったのは、動画サイトで見つけた『江戸幸』の勅使河原(てしがはら)隆さんの打ち方でした」。
勅使河原さんは、東京・葛飾区の伝統工芸士で、「江戸打ち」と呼ばれる技法を今に伝える唯一の職人でもある。その打ち方を独学で会得し、わずか半年後には自作のおろし金を持って勅使河原さんのもとを訪ねる。と、この道60年の親方から「もはや玄人の仕事」とお墨付きをもらえたという。
「決して器用な方ではないんです。ただ、釘を打つ時のように均一の力で規則正しく打つ作業は、昔から得意だったかも」。職人が生涯を賭して身につける技を、わずか2年、しかも独学で習得できたのは、少なからず建築業で培った経験と技術の賜物だ。
8時間六千発の集中力
1枚のおろし金を完成させるまでには、銅板の切り出しから錫かけ、磨き、目立て、曲げ加工など全部で20もの工程がある。それらすべてが一人の手仕事ゆえ、1日に仕上げられる数は5枚が限界。「一発でも打ち損じれば失敗」という緊張感の中、「8時間連続、6000発を5日間打ち続けたこともある」という。
「家族からは、建築の仕事をしとったほうが楽でええのにと言われますが、ハマってもうたからしょうがない」。呵々と高笑う。
銅製おろし金の歴史は古く、江戸時代にはすでに庶民の間で使われていたことが1712年に編まれた百科事典「和漢三才図会」に記されている。
「そんな300年もの歴史がある、日本固有の伝統的な調理器具なのに、職人の数はどんどん減って今やわずか数人。このままでは日本の食文化を支えてきた、職人の手によるおろし金の伝統が途絶えてしまう」と、行く末を憂えた新家さん。「これまで誰も作ったことのない使ってよし、見てよし、食べてよしの、三拍子揃ったおろし金を作って、いずれ、調理器具の脇役から主役へ昇進させたいです」。その技術を後世に残すという壮大なプロジェクトに挑もうとしている。
その一環として、刃の形状も大きさも、料理人の要望に合わせたオーダーメイドを中心に製作したいと言い、「2023年にはフランス・パリにて開催される世界最大級のインテリアとデザイン関連の国際見本市『メゾン・エ・オブジェ』に出展する予定です」と、夢を膨らませる。和食が世界文化遺産に登録され、日本の調理器具が注目される今。『紀州新家』のおろし金が、世界へ羽ばたく日もそう遠くはないのかもしれない。
フォローして最新情報をチェック!
会員限定記事が
読み放題
月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です
-
osakaryourikai_watobi_13 2022.02.09
新家さんの所に、アポなしで行きました。一枚譲って頂きました。凄いおろし金でした!感動‼️
この連載の他の記事道具のはなし
月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です