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「鮒寿し懐石」も刷新! 滋賀『湖里庵』が台風被災から復活

江戸期、琵琶湖畔の街道にて魚屋として創業。鮒寿(ふなず)しを名物に230余年の歴史を重ねる『魚治(うおじ)』の「浜の家」として始まった『湖里庵(こりあん)』。屋号の名付け親は“狐狸庵先生”こと作家の遠藤周作氏という滋賀きっての料亭旅館を台風が襲ったのは、2018年秋のことでした。全壊した館を再建し、「海の魚を使わずに」湖国の幸に特化したおもてなしをと、料理もブラッシュアップ。21年4月末、『湖里庵』第2章の幕が上がりました。

文:中本由美子 / 撮影:東谷幸一

鮒寿しを名物に230余年

一新した瀟洒な建物は、旧街道沿いで異彩を放っている。玄関から客席フロアへと進み、重厚な扉を開けると、目前にはスカイブルーの琵琶湖が広がる。
カウンター席からもテーブル席からも湖景を存分に楽しめるよう設えたガラス戸。その向こうにある広縁が、湖面と繋がっているかのような設計だ。

初代・魚屋治右衛門が天明4(1784)年に創業した魚屋は、鮒寿しが名物であった。独特の発酵臭を苦手とする人も多いが、長らく受け継がれてきた近江の郷土の味。美味しくなければ時代を経ることはできないはずと、作家・遠藤周作氏は、これぞと思う鮒寿しを探していたという。ようやく出合ったのが、『魚治』の鮒寿し。「浜の家」として料理宿も営むこの家に、自身の号“狐狸庵”と同じ音の『湖里庵』という屋号を薦め、自ら筆を取ってしたため贈ったそうだ。

かくして『湖里庵』は、近江の幸でもてなす料亭旅館として、全国に知られる存在に。「ここに来なければ食べられないものを名物料理に」という“狐狸庵先生”の助言により、鮒寿しを軸に据えた懐石をご当代の七代目・左嵜謙祐(さざき けんすけ)さんが先代と共に考案し、評判を高めていった。そんな最中の2018年、この地を台風が襲い、建物は全壊してしまう。

wsa0009逕サ蜒十a旧『湖里庵』の前で、左嵜さん夫妻。以前は個室のみの数寄屋造りだった。(撮影:塩崎 聰)

台風被災からの復興で、カウンターを新設

「幸いにも、街道を挟んだ向かいの『魚治』も、鮒寿しの仕込み蔵も無事でした。定休日でしたので人災もなくて。ゼロからもう一度始めなさい、と言われている気がして、前を向くことができました」。
実は、亡き父には夢があった。基礎部分に江戸期の石積みがあるはず。それを見つけて修復したいと。
「壊れた建物を撤去したところ、なんと、その石積みが出てきたんです。父の夢を叶えられるという想いにも背中を押されました」。

そんな左嵜さんの夢に寄り添ったのは、建築家の弟。幼い頃から、琵琶湖と共に暮らし、家業を手伝ってきた兄弟同士、想いは重なって、新たな数寄屋の構想が出来上がった。かつては個室のみだったが、弟さんの勧めでカウンターも設えられた。
「お客様の前で料理をするということが初めてで。館ができるまでの間、大津の仮店舗でカウンター仕事に挑戦してみたんです」。

2021年4月29日、『湖里庵』はリニューアルオープンを果たした。
「この湖景を生かしたい」と客席のフロアは琵琶湖に臨む設計にし、新たに設えたカウンターでは、左嵜さんが炭床を持ち込んで、目の前で獲れた鰻やモロコ、ワカサギや鮎を焼く。今までにないもてなしのカタチが結実した。

wsa0009逕サ蜒十b日暮れて藍色となった湖面がガラス戸の向こうに広がる。手前のカウンターには左嵜さんが立つ。

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