『一本杉 川嶋』復興イベントと、能登・七尾での次なる構想
9月上旬、大阪の日本料理『老松 喜多川』にて、能登・七尾『一本杉 川嶋』とのコラボイベントが行われました。川嶋 亨(とおる)さんは過去に『老松 喜多川』で修業し、旧知の間柄。この日、能登の食材をふんだんに使い、「復興への歩みを進める」という想いでコースを展開。その料理の一部を紹介し、現在の七尾や自店の状況、「次の一手」として考えている構想を川嶋さんに伺いました。
師弟でのコラボイベントが実現
「いらっしゃいませ! ようこそお越しくださいました!!」。
『老松 喜多川』と『一本杉 川嶋』、両店主の威勢のいい声が響き渡る。店内のカウンターと個室は満席。喜多川 達(とおる)さんが始まりの挨拶を告げる。
「本日はお越しいただきありがとうございます。このイベントは、元日の震災で今も商売ができない川嶋君となんかできひんかなっていうので声をかけ、実現しました。食事代は川嶋君への寄付、飲み物・サービス代はうちの売り上げとなります。今日はたくさん能登から食材を持ってきてくれていて、料理11品、すべてに能登のエッセンスを加えています。どうぞお楽しみください」。
喜多川さん(左)は、1980年大阪府生まれ。辻󠄀調理師専門学校卒業後、大阪『船場𠮷兆』『一汁二菜うえの』での修業を経て京都『祇園 さゝ木』の門をくぐる。師匠・佐々木 浩さんに料理人、人間として大きな影響を受ける。その後、『一汁二菜うえの』で料理長を経て、2012年6月に独立。23年に移転。11年連続『ミシュランガイド』、5年連続『ゴ・エ・ミヨ』に掲載。右/川嶋さんは1984年生まれ。父は旅館の総料理長で、幼い頃から和食に親しみ、大阪の調理師学校で日本料理を学んだ。大阪『錦水(閉店)』『老松 喜多川』、京都『桜田(閉店)』などで日本料理の腕を磨き、大阪『居酒屋 ながほり』、七尾「和倉温泉 日本の宿 のと楽」の『割烹 宵待(よいまち)』では料理長を務めた。2018年「RED U-35」ゴールドエッグ、21年『ミシュランガイド北陸』1つ星・グリーンスター、22年『ゴ・エ・ミヨ』3トックを獲得。24年3月発刊の『ゴ・エ・ミヨ』では「明日のグランシェフ賞」を受賞した。
「ご紹介に預かりました川嶋です。『老松 喜多川』では、開店2~3年目の頃にお世話になり、自分の料理人人生に多大な影響を受けました。震災直後、すぐにおやっさん(喜多川さん)から連絡をいただきまして、能登まで炊き出しに来ていただいたり、『できることあったら何でも言ってくれ』と気にかけてくださったりしてまして。金銭的にもメンタル部分でもすごくサポートいただいています。僕だけでなく、能登の人、たくさん救ってくださっています。今回もこういう場をいただき、みなさんにお会いできてとても嬉しいです。今日はよろしくお願い致します!」。
盛大な拍手で会はスタートした。
『川嶋』流「五味五感」の料理
煎ったゴマをすり鉢ですり、店内に芳しい香りが漂う。「いい香り!」と客席から聞こえると、「このプチプチと弾ける音や、香りもご馳走ですね。こちら、あえて強く煎っているのですが、召し上がっていただくとその効果を実感していただけると思います」と川嶋さん。
「『一本杉 川嶋』では、一品目に“五味五感”を意識した料理をご用意します。甘味、塩味、酸味、苦味、旨みの5つの味と、いろんな食感。ゴロッ、シャキシャキ、グニュッ、ねっとり、チュルッとしたものなどをバランス良く合わせ、料理を立体的に組み立てます。これから料理がスタートする!という信号を頭に送り、お腹の準備を整えていただくポジションです」。
能登野菜の素麺南瓜(そうめんかぼちゃ)の煮浸しは、通常、素麺状にほぐしたものを使うことが多いが、あえてブロック状に切り、口に入れた時のゴロッと感、ほぐれるにつれて変わるシャキシャキ感を楽しませる。川嶋さん自ら種まきをして摘んできた空心菜はゴマ和えに。あえて強く煎り付け、焦げたような香りや苦みを加えた。上には七尾湾で穫れた身厚な鉄砲カマスを焼き霜に。
カウンターから「これカマス⁉」という驚きの声に、川嶋さんは嬉しそうな表情。
「苦味が出るほど煎ったゴマと和えてお召し上がりください。梅おろしや土佐酢ジュレは甘くなり、カマスの旨みがグンと持ち上がります!」。
能登食材を盛り込んで
続いて白イチジクのゴマダレがけ(左)のイチジクも、川嶋さんが能登から持ってきたもの。『喜多川』製のゴマダレをかけた。輪島塗の菊の椀には、鱧の葛たたきに能登の金時草、柚子を添えたものだ。
「あまり知られてないんですが、能登はイチジクの一大産地なんですよ。今日のイチジクはよく熟れていて、柔らかい。少し酸味もあって、甘みとゴマの旨みも引き立てます」と川嶋さん。
「前回、5月に開催したイベントの時より持って来れる食材は増えました。復活している生産者さんが増えていて、能登とり貝の収穫量は2~3割減とのことですが、プレミアムサイズは昨年よりも大きくて、育ちは良かったという話です。こうして食材は復活してきているんですが、僕が使える場所がないのが歯痒いところでした。そこで、店前の建物をセントラルキッチンにし、いろんな場所に持って行けるようにしよう、そんなことを今、考えています」。
復活した酒蔵の日本酒も登場
左/昆布〆にした白甘鯛の焼き霜。カブラ、ウニ、ワサビ、キャビア、だしジュレを重ねた。「それぞれ召し上がっていただいても結構ですし、甘鯛で巻き込んでも美味しいです」と川嶋さん。
造りに合わせてお酒を注文すると、出てきたのは能登『数馬(かずま)酒造』の「竹葉」。「WA・TO・BI」でも震災直後、その状況や取組みについてお伝えしてきた。
「津波でタンクが流れたり、建物が壊れたりとひどい状況だったんですけど、『能登で始めに酒造りを復活する』と宣言した蔵です。震災当時は他の蔵の力を借りつつ造られていましたが、こちらは最初から最後まで自力で造った一発目のお酒。もちろん環境は前の通りではないですし、人が辞めたり、建物が壊れたままだったり…。でも、能登の人の強さといいますか、そういうのを体現したお酒なので、想いを感じていただけたらな、と。今日は純米吟醸です。お召し上がりください」。
お客からは「キレイなお酒ですね」と口々に感想が述べられる。川嶋さんの言葉にのって、作り手の想いも染みわたる。
定番の「藁焼き」を豪快に
一番の盛り上がりは『一本杉 川嶋』でお馴染みの藁焼き。焼き場でボオオッ、パチパチと音を上げ、カツオを燻していく。
「藁焼きを提供するようになったきっかけは、おやっさんの店で修業したからです。店の雰囲気作りやライブ感、劇場型の迫力。料理って美味しいのはもちろんですけど、“楽しい”のがすごく大事だと考えるようになって。緊張している状態よりリラックスして食べる方が味も分かりますし、美味しい記憶は消えても、楽しい記憶って失わない。だから僕はそういうお店を目指そう、と思ったんです」。
焼き上がり、「大将も写って!」とお客に促され、喜多川さんもこの表情。
本ガツオの藁焼きの下には刻んだミョウガ。スダチ、能登島の塩を添えた。
「添えたのは、カドがなくてミネラルたっぷりの塩。食材を持ち上げる力があります。通常、海水を浜に広げて作ることが多いのですが、こちらは釜に海水を入れて薪で炊いて作られていました。その釜や小屋が津波の被害を受けてもう作ることはできないのですが…。生産者さんは、山の手入れで木を切り、薪にして塩を作り、その売り上げで山の手入れをする。そのおかげで川から海にキレイな水が流れる…という循環型を確立されていました。もう僕の店からひっぱり出してきた分しかありませんが、その存在を、味を知っていただけたら」と川嶋さん。
供された全11品は単に能登食材が使われただけでなく、生産者の想いや現状の取り組みが添えられていた。そして、カウンター越しに伝わる川嶋さんの熱量と覚悟が食べ手の心に共鳴。最後にもう一度拍手が送られ、お客も店主2人も笑顔でイベントを終えた。
それから数日後、能登・七尾で川嶋さんにこれからの構想を伺った。
今後の『一本杉 川嶋』の構想
七尾は、金沢から車や「特急能登かがり火」で1時間ほど北上した場所。駅から『一本杉 川嶋』までは徒歩約10分。途中、所々道路に亀裂が入っていたり、建物の外壁が剥がれ落ちたりしているのが目に入る。
川嶋さんの店は、店名の由来でもある「一本杉通り」にある。少なくとも400年以上前からあった名称で、奥能登の内浦に繋がる街道、交通の要として栄えた場所だ。「被害は奥能登に比べると…」とは聞くが、それでも1階部分が押しつぶされた建物や、ブルーシートで外壁を覆った店舗、建物の傾斜や外壁の落下により「危険」と書かれた紙が貼られた建物などが多い。中には、仮店舗での物販や、仮設施設で営業を再開している店もある。状況はさまざまだし、復興はまだまだ。特徴的な石畳から瓦礫(がれき)が排除されたことが、せめてもの救いのような気がする。
川嶋さんの店舗は、1932年頃に建てられた国登録有形文化財。元文具店で、外壁のインク瓶や万年筆のデザインを生かして大切に使ってきた。しかし震災後に危険度を表す「赤紙」が貼られた。地域を盛り上げようと建設途中だったオーベルジュ(店左のスペース)も、余震による倒壊の危険があるため、オープンを目前に解体した。
「被害状況は千差万別です。うちの店の復興の目途は立っていません。自宅は液状化現象で住めない状態。正直言うと、気が滅入ることもあります」。
カウンターでの元気な姿の一方で、現状に溜め息をつくこともある。何より、コラボイベントでも言っていたように、生産者が復活してきている中、生かす場所がないことに心苦しさを感じるという。
「生産者の方々と地道に関係を築いて、いいものを届けていただいていました。それが、ふりだしに戻ったような感覚。もちろん、生産者の方々と連絡は取っていますが、正直、再開した時に以前と同じ状況まで持っていけるのだろうか、という焦りもあります」。
それでも、前を向いて着実に歩を進めるのが川嶋さん。これからの動き、今の気持ちを聞いた。
「実は、店舗前に3軒の空き家があって、そこをプロデュースすることにしました。状況によって変更する可能性はありますが、大きくは3つ。一つは宿泊施設。やはり、観光をしていただくには泊まる場所がないといけません。オーベルジュプロジェクトの再開を目指し、徐々に進めていきます。もう一つはセントラルキッチン。自分の調理場がないと、生きている心地がしないんです。調理場があれば、イベントの仕込みが可能ですし、生産者の食材を生かして美味しい状態で県内外に届けることも可能です。あとはアンテナショップ兼カフェ。地産食材を食べられる場としてはもちろん、地域の人のコミュニケーションスペースとして、また、雇用の創出もできればと思っています」。
川嶋さんがプロデュースする予定の3つの建物。明治時代に建てられたもので、修繕と補強を施して利用する。「これから一本杉通りも解体が進み、空き地が増え、趣きのある景観が変わる可能性があります。少しでもその景色を守ることができれば」と川嶋さん。
自分にできることは何か。考え抜いて方向性が決まった今、川嶋さんの顔には希望が見える。「あとはそこに向かって突っ走るだけなんで。少し心が楽になったんですよ。自分の店の再開、地域の復興、また、県外の方に対して、語り部じゃないけどリアルな情報を伝える活動をやっていきたいと思っています」。
以前、川嶋さんは「『祇園〇〇』や『銀座〇〇』のように、うち以外にも『一本杉〇〇』という名前の店が増え、一本杉通りを食のストリートにしたい」と語っていた。今の活動も、その道の途中。「復活した時には、厚みを増した僕を見て欲しいですね! 今は回り道をしているところ。力をつけて戻ってきます!!」。
『一本杉 川嶋』近くにある『能登食祭市場』。規模を縮小しつつも、能登の食材を販売している。訪れた9/9は、ちょうど平日営業を再開した日だった。
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