日本料理のことば

懐石と会席の違いとは?

2022.04.29
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連載:日本料理のことば

茶懐石という言葉があるように、茶の湯の食事として知られる「懐石」。一方、「会席」は、文字の通り、人が会合する席のことで、料理屋で振る舞われたのが始まりとされ、料亭のコース料理として定着していきます。ですが、古い文献には茶事の料理を「会席」と記しているものもあって…。混同されがちな二つの「かいせき」。その由来や歴史について「辻󠄀静雄料理教育研究所」の今村友美さんに伺いました。

聞き書き:中本由美子 / 協力:辻󠄀調理師専門学校
撮影:竹中稔彦 / 料理:京都・南禅寺『瓢亭』

「懐石」の語源は?

「懐石」は、茶の湯の席で供される簡素な食事のことです。濃茶(こいちゃ)を美味しくいただくために、お腹の調子を調えておくことが、この食事の目的になります。

お料理のことを表すのに、懐石という文字は違和感がありますよね。これは、禅僧が寒さと空腹をしのぐために温石(おんじゃく、軽石などを火にかけて布で包んだもの)を懐に入れたことに由来します。つまり、「懐に入れた石」と同じような効果があるとして、茶席での食事を「懐石」と呼ぶようになったようです。

「懐石」という言葉が生まれたのは?

茶の湯は、ご存知の通り千利休が安土桃山時代に大成しました。
当時は豪華絢爛な茶会が行われていたようですが、利休が唱えたのは、その真反対の「わび茶」。“日本的な不足の美”を求め、簡素や質実を重んじた様式でした。

懐石は、「わび茶」の茶事の一部として組み込まれたため、千利休が生みの親とされています。その裏付けとなるのが、利休茶法の秘伝書『南方録(なんぼうろく)』。懐石という言葉が初めて登場する文献として知られています。
その中に「炭クハエタル上ニテ懐石ヲ出ス也(炭を加えたところで、懐石を出すべき)」または「サテ程ヲ見合炭ヲシテ、懐石ヲ出ス也」とあります。

著者は、利休の高弟である堺の僧・南坊宗啓(なんぼうそうけい)と言われていましたが、架空の人物だったという説が有力となり、現在は、立花実山(たちばなじつざん)が1690年頃、利休没後100年を期して著したとされています。実は、『南方録』は実山による創作が加えられています。とはいえ、江戸時代を通して、茶の湯のあり方に多大な影響を与えた文献であることは間違いありません。

『南方録』を注釈した『喫茶南方録細註』には、懐石の解説文が見られます。
「懐石ハ禅林ニテ薬石といふに同し、温石を懐にして腹をあたたむるに同し、禅林の小夜食等を薬石共点心共云同意也、草庵相応の名也、侘テ一段面白き文字也」。
「懐石とは禅寺で温石を懐に入れてお腹を温めるほどのことで、小夜食などを薬石(やくせき)や点心というのと同意である。これは草庵にふさわしい侘びた趣深い名称である」という意味です。草庵というのは、わび茶の思想を取り入れた、簡素で狭小な茶室のことです。

「懐石」の内容とは?

『南方録』覚書は、懐石の内容についても触れています。
「小座敷ノ料理ハ、汁一ツ、サイ二カ・三ツカ、酒モカロクスベシ、ワビ座敷ノ料理ダテ不相応ナリ、勿論取合ノコク・ウスキコトハ茶湯同前ノ心得也」
小座敷の料理とは、一汁二菜か三菜であり、酒も軽くするもので、わび座敷で料理を派手にするのはふさわしくないということが書かれています。

この考え方は、その後、料理屋にも引き継がれていきます。
1822年刊行、江戸の料理屋『八百善(やおぜん)』の主人による『江戸流行 料理通』には、こんな一項があります。。

茶事会席の料理心得之事
一 茶事の会席は<中略>花美(くわび)を好まず食するものゝ味(あぢハ)ひを本意とする<中略>会席は二菜三菜に限り数菜ならねバ塩梅の宜きを元とす。
「茶事の会席は、華美でなく、味わいを本意とするもので、二菜か三菜に限り、取合の塩梅をよくすることである」という意味です。

ところで、ここでは懐石ではなく「会席」と記されていることにお気づきでしょうか。
実は、利休の高弟・山上宗二(やまのうえそうじ)も、茶会の食事(=懐石)の心得を記した著書『山上宗二記』(1588年)で「会席ノ事」と書いています。
茶席の食事=「懐石」表記の定着は、江戸中後期から。一般には明治以降を待つことになります。

──「会席」が始まったのは?

「会席」とは、そもそも人が集まる「会合の席」という意味です。言葉としては「懐石」よりも古く、いつの間にか会合で出される宴会料理をも表すようになったようです。
会合には、句会もあれば、茶会もありますから、懐石を指す場合もあったでしょう。

江戸時代の中後期になると、江戸や京都、大坂には料理屋が増え、とても賑わいます。居酒屋、小料理屋…と形態も多彩になり、その中から高級店である料理茶屋、今でいう料亭が生まれます。大衆の料理文化が花開いたこの流れの中で、料理屋で供されたのが「会席料理」の始まりとも言われています。

江戸期の随筆『続飛鳥川』には、「料理茶屋にて会席仕立の始は安永(1772~1781年)の末」とあります。同じく、江戸期の風俗史や巷話(ちまたばなし)も記された『武江年表』には、享保年間(1801~1804年)に会席料理を始めた者がいた、という記述があります。
江戸での会席料理の流行ぶりが描かれているのは、江戸後期の風俗誌『守貞謾稿(もりさだまんこう)』。その料理は「茶客調食の風」、つまり懐石の影響を受けたものとし、「最初に煎茶と蒸菓子が出され、次に酒肴として味噌吸物、口取肴、二つ物(煮物と焼物)、茶碗盛(おそらく蒸し物)、刺身が続いてから、一汁一菜・香物の膳で締める」と説明しています。

「懐石」と「会席」の違いは?

「懐石」は茶懐石ともいうように、あくまで茶席の料理であり、「会席」は酒を伴う宴席料理、という見方が一般的です。
1803年著の『茶話真向翁(ちゃわまむきのおきな)』にも、「茶の湯の食事は、懐石の意味が判然としないからといって、会席や会膳献立料理などと記されることがあるが、やはり懐石とすべきである」と書かれています。

では、その意味とはどんなものなのでしょうか? 利休の「わび茶」の精神を表す言葉に「一期一会」があります。一生涯に一度限りという気持ちで、誠心誠意を尽くすこと。その心をもって仕立てるのが「懐石」である、と解釈すると分かりやすいのではないでしょうか。「あなたのために仕立てた」という、おもてなしの精神が「懐石」には宿っているのです。
献立は、一汁三菜(飯、汁、刺身、椀盛り)に強肴(しいざかな)、八寸や湯桶(ゆとう)…という基本的な型がありますが、流派によって変わります。

一方、会席は料理屋文化の中で醸成されたもの。懐石の型にとらわれることなく、地域性や料理人の感性を取り込み、自由に変化してきました。その結果、最初から一汁三菜を出すのではなく、まず酒肴を十分に楽しんだ後、ご飯と汁物で締める、というスタイルに落ち着いたのでしょう。

「懐石」「会席」の言葉の成り立ちや歴史を紐解いていくと、この二つの「かいせき」の捉え方が変わってはきませんか? 茶事のお料理だけを「懐石」とすると、料理屋で提供することは難しくなってしまいます。それでは少しもったいないと思うのです。

その日のお食事はどんな目的で、どんな方々と楽しむものなのか。それを心得た上で、お軸を選び、座敷を調え、お料理を仕立てる。そんな一期一会のおもてなしを目指しているから、茶事の料理ではないけれど「懐石」と謳いたい。
家族や仲間が集い、食事を心ゆくまで楽しむ。そんな場に彩りを添えるような献立を、という想いを込めてコースを「会席」と記す。

例えば、現代の料理屋では、こんな風に二つの「かいせき」を使い分ける、ということがあってもいいのではないでしょうか。

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