村田吉弘さんの「京のひとり言」

最終回:京都人はコワい?

他府県民とはちょっと違う、京都人の心の中。上手に付き合う、いい関係を築くためには、「京都人が大切にしていることを知っておくべき」と『菊乃井』村田吉弘さんは言います。距離の取り方や習慣、本音や嫌うことなど。知っておくと役に立つ(?)大事なポイントを教えていただきました。


村田吉弘(むらたよしひろ):1951年生まれ。『菊乃井』三代目亭主。現在、店舗は『菊乃井 本店』『露庵』『赤坂 菊乃井』『無碍山房 Salon de Muge』を展開。そのほか、百貨店やオンラインショップでも商品を販売する。2012年、現代の名工として厚生労働大臣表彰、13年、京都府文化賞功労賞受賞。17年、文化庁長官表彰、18年、文化功労者に選定される。

文:西村晶子 / イラスト:得地直美
※「あまから手帖」2018年1月号より転載

京都人の優越感

最終回は、京都人との付き合い方について。「京都はコワい」ってよく言われるけど、気ぃつけんとあかんことは距離の取り方。京都人は深く立ち入られるのが嫌やから、ある程度の距離感が大事やね。大阪の人はその人を理解するためにいろいろ聞きたがるでしょう。「家族構成は? どこに住んでんの? ご主人何してはるの?」みたいに。それに比べ、京都人は氏素性(うじすじょう)が分かることは聞かれたくない。でも、はるか昔の自慢話は話したい。「うちはもともと商家で五代前までは大問屋やった」みたいなね。過去は美化したい。でも、今のことを細かく聞かれるのは嫌やから、ある程度のところで一線を引きはる。入り込みすぎると面倒なことになるから、くれぐれも近づき過ぎないこと。でも、距離さえ保って付き合えば、いい関係ができるし、みんないい人です。

京都人は相手と自分の立場関係にものすごく敏感やと思います。いい着物を着てる人がいるとするでしょう。大阪やったら「ええの着てるなあ。どこで買ったん」となる。そこにはひねくれた気持ちや妬みはない。けど、京都は違う。「いつもきちんとしてはるねえ」と言いながら、その人がいなくなったら「着物と帯おおてへんかったなあ」みたいな悪口になる(笑)。どこか自分が優位にいたいという気持ちがあるんやね。こんなこと言うたら怒られそうやけど、女の人には割とそういうところがあるなあ。その優越感をギュッと凝縮したら京都人になる(笑)。

人をよく見ていて、観察力は優れてる。上から下までジッと見て、指摘するところがあったら、蜂の一刺しをブスッとね。滅多なことで人のことを褒めはらへんし、褒められたら裏に何か持ってると思った方がいい。そやけど、自分より上やなあと思う人には何も言いはらへん。言うたら自分が返り血を浴びるだけやからな(笑)。相手と自分のどっちの立場が上かを瞬時に見極めんと、京都の街では生きていけへんやろなあ。

忖度(そんたく)でできている

京都の街は「忖度」で成立していると思うね。料理屋のご贔屓(ひいき)さん、お茶屋さんの一見(いちげん)さんお断りもそう。特にお茶屋さんは紹介者がいて、互いの信用関係で成り立っています。「どこどこの誰々です」と言ったら聞いてもらえることが多いし、年功序列がはっきりしている。「あの人から頼まれごとがあって嫌やけど、仕方ないなあ」「腹立つけど、やらんとなあ」みたいなね。

たいていのことは忖度で成り立ってるから、阿吽(あうん)の呼吸で相手に配慮できなかったら「あの人アホちゃうか。空気読めんな」ということになる。東京の人は「京都ではお茶を勧められても飲んではダメなんですよね」って決めつけてはるけどそうやないねん。自分と相手の立場を考えたら、自分が上がってお茶を飲んでいい立場かどうか分かるでしょ。お詫びに行って、「まあ上がって」と言われて「すいません、失礼します」って上がったら「あの人詫びに来てお茶飲んで帰りはった」って後ろ指さされる。シチュエーションや相手との関係を考えたら、そんなところでお茶は飲まんやろという話になる。

商談はもっと忖度がいる。「今の取引先よりうちは1個につき10円お安くしておきます」「よろしいなあ。考えとくわ」「この間の件、どうなりましたでしょうか」「いやいやうちは今のままでええわ」「ええ〜!?」ということになるわね。口にはしないけど「代々の取引があって、何かと世話になってるし、簡単には変えられへん」というのが本音。京都は市場原理より“忖度が優先”されることが多い。大阪にもあると思うけど、東京の人には分かりづらいやろなあ。

OKかなと思ったら、断られたというのは京都ではよくあること。だいたい京都の人は後ろ向きな話から始めはるし、はっきりイエス、ノーは言いはらへん。例えば仕事の頼みごとをするとする。「うちなんかでええですの? 店は小さいし、古いだけやし」「なんでうちなん?」ってね。「いえいえ、おたくが一番で」と言うと少しのってきて「ご都合合わせます。些少ですが謝礼も払いますし、何とかひとつお願いします」と泣きついたら「そこまで言いはるんやったらしゃあないなあ」てな感じかな。まずは断りはる。ほんまに嫌で断ることもあるけど、なんでも簡単に引き受けたら軽く見られる、という気持ちがあるんやね。そのかわり受けた以上はみんなちゃんとやりはるよ。

京都は大きな田舎

細かくいろいろなことを考えてないと京都では生きていけへん。勘違いしたら足をすくわれるし、頭下げる相手間違ったら大変なことになる。でも、それが分かるようになったら商売も人ともうまいこといき、そんなに不便ではなくなってくる。街を歩いてると、どこかで見たことある人ばっかりになって、自分のテリトリーの中にいる人はしゃべったことはなくても知った人ばかりになるしね。京都中親戚みたいなもんやな。

京都は大きな田舎。自分の住んでるテリトリーの狭さやその安心感の中でしか生きていけないことを、京都人はよくよく分かってる。そやから忖度しつつ、上手に上辺で付き合っている。その辺が分かったら、京都はコワくなくなるやろね。

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