村田吉弘さんの「京のひとり言」

第五回:白足袋(しろたび)の人々

京都には、僧侶や茶人、芸舞妓衆、旦那衆など、白足袋をはいた文化人が数多くいます。その中には、ものの真価を知っている人が多く、時には料理人に対して厳しい指摘を向けることも。それを、『菊乃井』村田吉弘さんは、「教わることが多くて、有難い」と言います。「白足袋の人々」との付き合い方の極意と、村田さんを緊張させた出来事を語っていただきます。


村田吉弘(むらたよしひろ):1951年生まれ。『菊乃井』三代目亭主。現在、店舗は『菊乃井 本店』『露庵』『赤坂 菊乃井』『無碍山房』を展開。そのほか、百貨店やオンラインショップでも商品を販売する。2012年、現代の名工として厚生労働大臣表彰、13年、京都府文化賞功労賞受賞。17年、文化庁長官表彰、18年、文化功労者に選定される。

聞き書き:西村晶子 / イラスト:得地直美

文化を熟成させる人

僧侶や茶人、花街の芸舞妓衆、西陣の旦那衆らのことを昔から京都では白足袋と呼んでて、「白足袋には逆らうな」てよう言われてきた。今の社会では特殊な人や裏の権力者のイメージを持たれるけど、言い方を換えたら文化人やねん。旦那衆も豪商の家も今はほとんどなくなってしもたけど、まだまだ京都には文化人は多いね。

そやから、そないに怖がらんでいいと思う。偉そうで横柄なことは全然ないし、うちにも予約してきはって一杯でお断りしても「それは残念、またお願いします」で終わる。「何で俺が言うてんのに聞かへんねん」なんていう人はいはらへんよ。

店で軸を掛けてても、「ええ軸や。これは頼(らい) 山陽の古いもんやなあ」とか、「床にええ花入ってるな」と、ものの価値を知っている。「煮物椀に味噌汁を入れるのはおかしいで。骨のある魚なんか使うたら塗りが傷つくやろ」、生花を箸置きにしてたら「なんや可哀そうやなあ。生けたら皆に見てもらえるのになあ」、みたいな細かい指摘もしはるねん。でも、これはケチをつけてるわけでなくて、育てようという愛情なんやね。間違いを正してくれるって、すごく有難いことよ。彼らの厳しい目があるから、作家も料理人も職人も磨かれて、文化が成熟していくんやと思う。

僕も木屋町で店を始めた頃、よく歳いったお客さんに言われた。「ここに来るには体力いるし、疲れるねん。勝負しに来てるんと違うから全部が全部うまなくてええ。これなんやおいしいな、くらいのもんがある方がいい」てね。今になるとそれがよう分かる。同じだしのものが続くと飽きるし、派手な演出は疲れる。味のバランスがきちんととれていて、キレイにはするけど立派に見せようとはしない…。僕は日本文化を支えてるんは「節度と品位」といつも言うてるけど、料理もそうと思うよ。

芸妓衆との付き合い方

「白足袋は怖くない」と言ったけど、花街の芸妓衆は注意せんとあかんよ(笑)。相手を怒らせんよううまいこと「よろしおすなあ」「そうどすなあ」と言うて自分の思うようにしはるからね。逆らったら怖い…。「あそこの料理は美味しかった、まずかった」って厳しいこと言うし、お客さんとは毎日いいもん食べてはるから口は肥えてて、情報も確か。でも、絶対に言うたらいかんことは言いはらへん。「昨日○○さんが来はりました、あの人の旦那さんが□□さんなんやて」とは言わへんし、そんなこと言うたら文春がやってきて大変なことになるのもよう分かっている(笑)。ここにも「節度と品位」はあるね。

僕ら料理屋は、昔は夏になると決まって彼女らをバーベキューや焼肉屋に連れて行ってたんやけど、田舎から出てきた子が多いから、気軽な焼肉が喜ばれるねん。ただ僕らは贔屓やないから、声をかけるのはもっぱら花代のいらん歳のいった芸妓と半玉(舞妓の見習い)。お年玉渡したら少なくても「おおきに、お父さん」て喜ばれるし、ばあさん芸妓を洋食屋でご馳走したら「お父さんまた連れてっておくれやす」、「そんな婆さんばっかり相手できるか」って言うてね(笑)。でもこの上と下を押さえておくのが大事やねん。花街は上下関係が厳しいから、年配の芸妓がいてくれると「お父さん来はったし」て、中堅以下が右に倣えになるし。若い子は小さい時から知ってるから売れっ子になっても「ちょっと頼むわ」ってお願いできるわなあ。

答えのない高僧のご馳走

白足袋といえば僧侶。京都は街中にお寺さんがたくさんあるから、お坊さんとは何かと関わりがあるわね。坊主というと悪僧のイメージもあるけど、立派な人もたくさんいはる。もう亡くなりはったけど天龍寺の管長やった平田精耕(せいこう)老師は哲学者で、ドイツ語で講義もしてはった。

うちにもよく来られてて、ある日、ご馳走してあげるから来なさいって天龍寺に招待されたことがあってね。「何でですか」と聞いたら「いつもご馳走になってるからね」て言われて、ドキドキして行ってみた。部屋で待っていると料理が運ばれてきて、大きな皿に直径10㎝もあるような大根がドンと盛ってあって、脇に菜の花のゴマよごしがあるだけ。次に2丁分くらいの分厚い豆腐を湯豆腐にした土鍋が出てきて。そしたら「あっ、ちょっと待っとれ」と言うて出て行かはった。戻って来はったら手にフキノトウをいっぱい持ってて、湯豆腐にポンと入れはってね。コチンコチンに緊張したけど、どれも美味しかったなあ。「この大根はどこの大根ですか」と聞いたら、「僧堂の便所の裏の畑の大根や。菜の花もそや」と。お礼を言って帰ったものの、この日の食事の意味が全然分からへんかった。相手は哲学者やからね。技巧に走るなと言いたかったのか、生き方を指南したかったのか…、何かを訴えていたはずで。以来、大根や豆腐を見るとあの日のことを思い出す。いまだに真意は分からへんけどなんかこの時のことがグサッと効いてるねん。忘れられん出来事やったね。

やっぱり白足袋の人たちにはいろんなことを教わる。厳しいことも言いはるけど、怖がらんと大事にせんとあかんなあ。

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