村田吉弘さんの「京のひとり言」

第四回:祇園祭で見栄を張る

7月に行われる祇園祭は、京都人にとって一年で一番のイベント。子どもから大人まで結束するため、地域のネットワークが育まれ、文化が受け継がれています。そんな行事や祭で見栄を張るのも京都人ならではと村田さんは言います。来客時の対応や外出時の服装、この時季よく食べる鱧においても。特有の気質について教えていただきました。


村田吉弘(むらたよしひろ):1951年生まれ。『菊乃井』三代目亭主。現在、店舗は『菊乃井 本店』『露庵』『赤坂 菊乃井』『無碍山房 Salon de Muge』を展開。そのほか、百貨店やオンラインショップでも商品を販売する。2012年、現代の名工として厚生労働大臣表彰、13年、京都府文化賞功労賞受賞。17年、文化庁長官表彰、18年、文化功労者に選定される。

聞き書き:西村晶子 / イラスト:得地直美

京の一大イベント

祇園祭は八坂神社の神事で、町衆の手でえらい長いこと続いてきた祭り。昨年から新型コロナの影響で中止になってる行事も多いけど、京都の人間にとって大事なもんやから、本来の姿について話しようかな。

山鉾(やまぼこ)巡行や宵山が祇園祭と思ってはる人が多いけど、7月1日の神事始めの吉符入(きっぷいり)から始まって、31日まで丸1カ月続き、その間各山鉾町ではいろんな行事をしてはる。街全体が何かとせわしくて、京都人にとっては一年で一番のイベントなん。準備せんとあかんことがたくさんあるから、町衆はがっちり結束してはって、春頃から男衆は寄合をやって、子どもたちはお囃子の稽古を始めるんと違うかなあ。

「先祖代々やってきたことやから」て小さい頃から刷り込まれているから、「大変や、面倒や」て言いながらも結構楽しそうにやってはる。京都の人は、行事ごとや、年寄りや大人が積み重ねてきたことはきちんと次の世代に伝えていこうとする。やり続けることの大切さをよく知ってるからね。億劫なことは多いけど、これで知り合いができてネットワークが生まれ、うまいこと付き合いをしていきはる。お互いの人柄や個性も分かって、町内もまとまるねんなあ。

お金もいることで、うちにも毎年寄付を言ってきはるけど、一番大変なんはお稚児さんの家。お稚児さんは神のお使いやから巡行までは女人禁制の中で過ごし、地に足をつけず、別火をもって食事をして精進潔斎しはる。祭の期間も長いし、毎日お客さんにご馳走したり、お礼のお返ししたりと、ほんま大変…。ちょっとしたマンションを買うくらいの金額はかかるからね。そやけど、名誉なことでもあるので断られへん。

内は質素に、外は派手に

京都の人は特別な行事や祭りには最大の見栄を張る。その最たるものが祇園祭。例えば、お稚児さんに選ばれはった家にお祝いを届けに行く時は、片木(へぎ)にお祝い一式をのせて盛装して行くし、迎える側もいつ来客があってもいいようにひと部屋空けて常にきれいにしてはる。お返しするお多芽(ため)(京都ではお祝い金の一割)とお多芽紙も用意せんとあかんし、とにかく大層やねん。“内は質素に、外は派手に”みたいなところがあって、ハレの日はなんや知らんけど金持ちぶるねんな(笑)。「京都の着倒れ」ていうけど、ハレとケの使い分けははっきりしてて、外出する時と家にいる時の服装も全然違うよ。

祇園祭の時かて、外では着物をビシッと決めて、役員は袴つけて盛装せんとあかんし、それも全部自前。京都は年中、祭りや行事ごとがあるから、役員は着物はもちろん、袴も夏物と冬物を持ってはる。僕が面倒くさいから袴着けへんで出かけようとするとうちのお袋に怒られる。「羽織あるし、ええやん」言うたら「羽織着て、袴着けてへんかったら番頭。家の主人は袴着けんと」て。ほんま、大変。

食事もお客さんにはご馳走を出すけど、うちのもんだけでは質素やなあ。見栄はらんとあかんことがいろいろあるんで、普段は倹約してここぞというところで散財する。そやないと「なんや大きな商売してはって、情けない話やなあ」て言われてしまう。

親戚に対しても仲良さそうにしながら距離があって、見栄を張るねん。例えばうちの娘が親戚の家に行くとするやん。「今日はお世話になります。少しですがおはぎ作りましたんで持たせます」て言うわなあ。たいてい「いえいえ、手ぶらでどうぞ」て言われるけど、ほんまに持って行かへんかったら何言われるかわからへん(笑)。

そやからかえって町内の人の方が気心知れて心も許せ、一緒にいて楽しいねん。まあ、京都は大きな田舎やからね。でもこの町衆の結束のお陰で祇園祭は1100年以上も続けてこられたし、僕は田舎のままでいいと思ってる。

祇園祭は鱧祭

祇園祭は鱧祭といわれるくらい、この時期、京都では鱧をよく食べ、食べんとあかんと昔から言われてる。全国の鱧の取扱量は7月が一番多いらしいけど、これって祇園祭で食べられてるからやと思うわ。

僕はさんざん食べたし、もうええと思うけど、京都の人は毎年してきたことをせんと気持ち悪いから食べるねん。そやけど、ハレの時だけで、それも家族の中では区別がある。僕が子どもの頃は、爺さんや親父は鱧の落としで、女と子どもは照り焼き。これも見栄やなあ。

大阪でも天神祭の時に食べはる鱧ちり(鱧の落とし)。京都は梅肉やけど大阪は酢味噌。でも、鱧寿司はあまり聞かへんなあ。京都は仕出し屋が多いし、一尾を丸のまま使った姿寿司を配る人が多い。祭りや行事で鯖寿司を配る習慣もあって、うちは料理屋やから用意することが多いけど、もらうことはほとんどあらへん(笑)。

こうやって祭りで食べ物が行き来すると付き合いはいっそう深くなり、密になる。それってええことやけど、やり過ぎると負担やし、やっかいなことにもなる。そのあたりの加減を京都の人は心得てるねんな。始末が身についてて、ここ一番は見栄を張る。そやから、祇園祭も行事食も続けてこれたんやと思うよ。

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