昆布はどうなる?

昆布養殖は南茅部から始まった

我が国初の昆布の養殖に成功したのは、真昆布の故郷・南茅部(みなみかやべ)でした。その功労者として、今では伝説の存在のように語られているのが、前回、2年物の養殖昆布についてお話を伺った吉村良一さんの父君・捨良(すてよし)さんです。前の浜に天然真昆布が大量にあったはずの昭和40年代。養殖昆布はどのような背景で、なぜ、いかにして誕生したのか? 今回は、その物語をお伝えします。

文:団田芳子 / 撮影:竹田俊吾

目次


なぜ養殖が必要だったのか?

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吉村良一さんの父・捨良さんが、昆布養殖に取り組み始めたのは、昭和41(1966)年のこと。北海道区水産研究所で昆布の胞子培養に成功した研究者の長谷川由雄さんが、当時、川汲(かっくみ)浜漁協の理事だった捨良さんを訪ねてきたことから物語は始まる。

「良質な昆布が育つ南茅部の海で、養殖試験をしたい」。
その申し出に捨良さんは飛びついた。なぜだろう。その頃の浜は天然真昆布がわんさと繁茂していたはずだが…?

天然真昆布の漁は夏場の限られた時期のみ。だから、水揚げして乾燥させ、切り揃えて仕分けするなどの作業が一段落すると、南茅部では多くの漁師が出稼ぎに出ていた。
天然物の漁獲量は年によって大きく変動するので、漁師の生計はそれのみでは成り立たなかったのだという。

息子の良一さんも「親父は漁期と正月以外、家にいなかった」と言い、この連載で、促成昆布の仕事について伺った臼尻(うすじり)の漁師、川井靖之さんも「昔はオレも出稼ぎに出てた。今は促成の仕事があるから有り難い」と話しておられた。
捨良さんは、自身を含めたそんな昆布漁師の暮らしを改善したかったに違いない。

kon0018b吉村良一さんが育てた2年養殖昆布。促成昆布と比べると、幅も厚みも立派だ。

kon0018c2年連続で2年ものの養殖に成功した吉村良一さん。丁寧に1枚ずつ付着物をタワシでこすり取る作業中。

“昆布の神様”が編み出した「のれん構造」

kon0018d取材に伺った2023年7月21日の早朝、南茅部の海には、沖の養殖場へ向かう小船が行き交っていた。

天然の昆布は、海底の岩盤に胞子が着床し、2年をかけて成長する。つまり、昆布は下から生えてくる。養殖昆布は逆。胞子を培養して種苗を作り、これをロープに着床させて上から吊るすのだ。

今、養殖場では、浮き球付きの長さ120mの太いロープを海上に直線的に伸ばし、そこに2m間隔で、種苗糸を着床させた長さ5mの細いロープを海中に垂らしている。
我々がたくさん見た小船は、昆布がのれんのように海の中に揺れている沖合へと走っていたわけだ。

この「のれん構造」を考案したのが捨良さんだ。全国の海苔や真珠の養殖施設を参考に、悩んだ末にたどり着いた形だそう。

kon0018e平成19(2007)年の北海道新聞には、捨良さんの偉業を称えた記事が掲載された。

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