産地ルポ これからの和食材

“日本一の鯛”を巡る『水口商店』の仕事

「明石の鯛は日本一」——多くの料理人が口にしますが、そう言わしめる背景には、素材のポテンシャルに加え、間を繋ぐ仕事にあります。今回は、「担ぎ屋」である『水口商店』の水口貴士さんに焦点を当てつつ、明石の鯛がどのように釣り上げられ、料理屋に運ばれるのか。その全貌をお届けします。

文:藤川 満 / 撮影:塩崎 聰、下村亮人
※「あまから手帖」2021年2月号より転載

目次

淡路島岩屋の鮮魚卸専門『水口商店』の三代目・水口貴士さん。365日、淡路—京都間を往復し、鮮魚を運ぶ。「日本一の鯛を扱っている自負がある。よそにあるなら是非教えてほしい」と話す。
漁船を迎え入れる二見漁港。二見漁港は漁師の数が少なく、規模も小さいがゆえに、量よりも質にこだわる漁師が多い。鮮度を保持するため冷却装置を備えた漁船が多いのも特徴。

「扱いが丁寧」な、二見(ふたみ)漁港の鯛の水揚げ

兵庫・明石市中心部から車で東へ約30分にのところにある二見漁港は、思いの外、のどかな空気が流れている。途中に立ち寄った、昼網のセリで殺気立つほど賑わう明石浦漁港とは、まるで違う。

明石鯛が水揚げされる漁港は、二見以外に垂水、明石浦、そして淡路島の岩屋などが知られている。なかでも「二見の漁師は意識が高く、鯛の扱いも丁寧だから質が良い」と語るのは、鮮魚卸専門『水口商店』の若社長・水口貴士さんだ。

水口さんは各漁港で揚がった明石鯛を深夜に仕入れ、京都の料理屋へ運ぶ、通称「担ぎ屋」。ゆえに陽の高い二見に、まだその姿はない。今ここにいるのは、海をぼんやり眺める漁協職員と思しき男2人。「12時過ぎれば鯛の船が帰ってくるよ」。1人がのんびりと言い放つ。

沖からエンジン音がかすかに聞こえるか聞こえないかの刹那、どこからともなく2〜3人の男性が加わり、静かだった港は水揚げ準備のために活気づいた。

船が着岸すると、漁師は船底の水槽から明石鯛をカゴに移し、それを陸で職員が受け取る。即座に計量され、大きさに応じて生け簀(す)に振り分けられる。その一連の作業は5〜6回、それから10分後、漁船は帰途へ、港は再び静寂に包まれた。

生け簀では明石鯛が悠然と泳いでいる。「鮮やかな赤色で肥えているのが良い鯛」と漁師の一人は話す。聞けば、“五智網(ごちあみ)”と呼ばれる網漁で明石鯛を狙うと言う。刺し網や定置網とは異なり、獲物がかかればすぐに網を引き揚げるため、ストレスを最小に抑えられるそうだ。

「(先代の)水口のおっさんに、京都の料亭に連れて行ってもらって、料理になった自分の鯛を見て意識が変わったよ。それからだね。形の良い鯛にこだわり、より丁寧に扱うようになったのは」。
そんな漁師の揚げた明石鯛は、仲買人が買い付けに来るまで休憩。サッカーのパス回しの如く目まぐるしく動くことになる明石鯛は、まだ自陣の奥深く。再び時計の針が動くのは数時間後のことだ。



幾人もの目利きの末、運ばれる鯛

深夜1時30分、淡路島北端に位置する岩屋漁港。とある倉庫の暗闇に水口さんはいた。1tの海水をトラックの水槽に注ぎ終えると「今日は忙しいぞ」と、弟・翔平さんに声を掛け、共に前日水揚げされた明石鯛を水槽に入れる。

鯛を運ぶ連携で、重要な起点となる『水口商店』は、京都の『瓢亭』、『菊乃井』など、錚々たる老舗に鮮魚を卸し、関西の魚界でその名を轟(とどろ)かす。すでにその名はブランドだ。初代がフェリーや電車で京都へ魚を運ぶ担ぎを始め、父・計則(かずのり)氏の代には輸送がトラックに替わり、取引先が拡大。幼い水口兄は父に連れられ、漁港などの現場によく足を運んでいた。23歳で店に入り、仕事を覚える日々。「言葉少なくも、父に教えてもらった庖丁捌きは財産ですね」と振り返る。

父子で店を支えたのは7年ほど。2018年、計則氏は急逝。弟の翔平さんが店に入った。

起床は深夜1時。30分後には岩屋漁港で明石鯛を積み込み、明石大橋を渡る。明石では仲買人の生け簀に立ち寄り、再び仕入れ先を転々。完了後は京都直行便と各市場などに立ち寄る便のトラック2台に分かれ、それぞれ目的地を目指す。

「子どもの頃から毎日鯛を触ってきたから、どの鯛が本当に良いものかが分かる。目利きは誰にも負けない自信がある」と淡々と語る水口兄。常に父と比較され、長男として巨大な看板を背負ってきた。自信がなければ潰されるこの世界で、自らを鼓舞しつつ、厳しく追い込んでいく。

良い鯛には“オーラ”がある

明石鯛はしつこいくらいに何度も、職人達の目で仕分けられる。船上では漁師、港では漁協職員、セリでは仲買人、配送時には担ぎ、果ては厨房の料理人まで。その連携のちょうど中間で仕事をするのが仲買人だ。セリのイメージが強い仕事だが、それだけに留まらない職人もいる。

大型の生け簀をいくつも構える『明石活州(いけす)』に勤める東根一晃(かずあき)さんのところには、自らセリ落とした魚はもちろん、近隣の漁師や漁港からも高品質の獲物が続々集まってくる。これほどの規模の仲買業者は明石では皆無。この日、東根さんは22時に出社し、水口兄弟が仕入れに来るまでの間、明石鯛を次々に選っていた。「大きさは2㎏前後。顔と目が小さく、ウロコが柔らかな鯛。あとは…、オーラを感じ取ること」が東根流の目利きポイントだ。与えられた時間は少なく、判断は瞬時。もともと学生時代のアルバイトをきっかけにこの道を選んだ。45歳を越えた今、キャリアは相当にある。それでも「未だ毎日が勉強」と頭をかく。

午前2時30分。水口兄弟のトラックが到着。短く言葉を交わした後、東根さんの選んだ鯛が、瞬く間にトラックに吸い込まれていく。まさに、あうんの呼吸。

「旨そうな鯛は触っただけで分かる。ただ最終的には食べてみないと正解かどうかは分からない。その答えは水口さんが卸す店にあるよ」。

積み込みを終え、京都へ向かう水口兄弟のトラックを目で追いながら、東根さんは照れくさそうに笑った。

“活け越し”の後に見極める、“締め”のタイミング

京都・八坂神社の程近くに佇む料亭『菊乃井』。日本屈指のこの名店に、水口さんらが“ヤマ”と呼ぶ作業場がある。東山の山麓にあるからだが、父の代から拝借するここでの作業もまた、山場を迎える。

水口兄弟が明石から夜道をひた走り、ここに到着するのは午前5時前後。真冬の日の出はまだ先だ。深々と冷え込む暗がりの中で水を使う作業に入る。選んだ明石鯛をさらに仕分け、締めてから、京都の各店に配達する。“ヤマ”はさながら、日本料理界の頂へ、日本一の鯛を届けるベースキャンプといえる。

この場所が設けられたのは、30年ほど前。それは、父・計則氏が扱う明石鯛に魅せられた『菊乃井』店主の粋な計らいだった。このお陰で、より鮮度を維持できるようになった『水口商店』の明石鯛は、名声を高めることになる。

“ヤマ”に到着した水口兄弟は、早速前日から泳がせておいた生け簀の鯛を締め始めた。時にトラックから降ろした鯛をすぐに締める場合もあるが、個体によって締めるタイミングは異なる。ここに、“水口ブランドの明石鯛”と言わしめる極意がある。

「活け越しした鯛を適切なタイミングで締めることで、身の旨みが増す」と水口兄。うま味成分であるイノシン酸は、明石鯛が生きている間は、実はほとんど生成されない。イノシン酸が作られるのは死後硬直の後。魚体にあるエネルギーが源となる。よって、水揚げ直後、明石鯛が暴れると、その貴重なエネルギー源が消費し、イノシン酸の生成量が減ってしまうのだ。そのため生け簀でリラックスさせ、エネルギー源を回復させるのが“活け越し”の役割。

さらに、「漁師が最初に獲った鯛と最後のものでも個体差が出る。その時間を見極めるにはもうセンスしかない」。水口兄はその目を養うため、過酷な仕事の合間を縫って漁師の船に度々同乗する。

ようよう朝陽が射し出す頃、“ヤマ”の床には、締めて神経抜きした明石鯛が注文先ごとに並び始めた。翔平さんは度々軽トラックを駆り、配達先に回っては戻ってくる。そうして“ヤマ”の作業を完遂するのは午前11時頃。岩屋に戻れば、水口兄弟の長い一日が終わる。

「自分で言うのもなんだけど、日本料理界を支えているという自負がある。もしもどこかに日本一の鯛があるなら、逆に教えて欲しいくらい」。魚業界を縁の下で支える担ぎ屋ではあるが、その裁量の大きさは図り知れない。どの鯛をどの店に卸すか、その采配はすべて担ぎ屋の手に委ねられているのだから。

受け継がれる、鯛の味

午前9時、明石鯛はいよいよ最前線へ。『祇園 川上』店主・加藤宏幸さんは、水口兄弟から明石鯛を受け取ると、料理場各担当に水洗いやウロコ取りなど下処理を指示した後、庖丁を握った。「しっかり活け越しされていると、庖丁がすぅっと入る。良くない鯛なら、水口へ電話しますよ」。
 
『水口商店』とは三代にわたる付き合い。加藤さん自身、修業時代は二代目・計則氏から魚のノウハウを学んだ。「『魚を雑に扱うな!』と、頻繁にどやされましたよ」と懐かしむ。そして今、両者は共に代を替えた。「貴士は若いのによく頑張ってる。弟もそう。自分が若い頃に水口のおやっさんから教わったこと、これから伝えていけたらなって」。

午後6時の開店時間。明石鯛は可憐な京焼の器に盛られ、造りと骨蒸しに、それぞれ姿を変えた。その造りを一切れ口に運ぶ。程よい弾力となめらかな舌触り。「どうです? これが日本一の鯛ですよ」と加藤さんが胸を張る。その台詞が説得力をもって舌に響いたのは、連綿と受け継がれた男たちの仕事に陶酔したわけでも、追ってきた時間のせいでもない。波紋のように広がる強靭な旨みに、ただただ陶然となったからだ。

『祇園 川上』
【住所】京都市東山区祇園町南側570-122
【電話番号】075-561-2420
【営業時間】12:00~13:30LO、17:00~21:00
【定休日】不定休
【お料理】昼/ちょうちん弁当4950円、懐石6600円~、夜/懐石16500・22000円。


仲買人の東根さん。明石市の仲買業者『明石活州』に26年勤務する。明石周辺で獲れた魚介を目利き。「良い鯛に触れれば、そのオーラが伝わってきます」。
担ぎ屋・水口翔平さん。多忙な兄の貴士さんをサポートする。大学院では機械工学を学んだ理数系男子。「極力、鯛にストレスを与えず、魚体にも“死を伝えず〟に捌きます」。
『祇園川上』の加藤さん。18歳から同店で修業している。10年前に二代目として店を任され、伝統の味を継承。「魚を通じ、自分自身学んだことを、これからの世代に伝えていきたい」。
神々しい美しさを帯びた明石鯛。『祇園 川上』加藤さんが好むのは、重さ2〜2.5㎏のサイズ。「活け越しされていない鯛の尾ビレには黒いラインが入っているんです」。『祇園 川上』では、鯛の保管に天然氷で冷やす氷式冷蔵庫を使用。乾燥を防ぎ、より自然に近い状態で鮮度を保っている。
染め付けの名工と謳われる京焼の作家・川瀬満之の大皿に盛られた明石鯛の骨蒸し。箸を入れると骨から身がほろりと抜け、ふっくらした食感と凝縮された旨みに魅せられる。お造りの器や酒器も京焼で揃えられ、明石鯛の晴れ舞台をより一層華やかに演出する。

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