小麦粉の芳しい香りに瞠目!
奈良県大神(おおみわ)神社のお膝元・三輪で、文化元(1804)年より、そうめん作りを始めたと伝わる山下家。六代目・山下勝山さんは“美味しいそうめん”をただひと筋に追求し続け、約50年の麺匠だ。その1つの到達点が「一筋縄」と名付けられたこのそうめん。茹で上がりはツヤツヤと輝き、啜(すす)り込めばふわりと上品な舌ざわり。嚙むと奥底にたおやかなコシがあり、喉ごしはツルリと心地よく、あとに小麦粉の芳しい香りが鼻を抜ける。今までに味わったことがないと、初めて口にした人はみな目を見張る。
名だたる老舗料亭や人気割烹が「うちのお客様に出す価値あり」と、メニューに載せ、またギフトや記念品に使っているが、表に名は出ないし、大量生産しないため、まだまだ知る人ぞ知る存在だ。
それは、これまでのそうめん作りの常識をひっくり返した発想から生まれた。
「そうめんは、長らく品評会に向けて細さを追求してきたんです」と山下さんは語る。「細く延べるためには強いグルテンが必要ですが、そうすると甘みを感じにくいそうめんになります」。
細い=美味しいではない。
「美味しさってなんやろ」。家業を継いで10年ほど経った頃、山下さんは改めて考えこんでしまった。
知人のお茶の達人に「美味しさとは」と禅問答のような問いかけをしてみたら、「お茶は渋さの中の甘みが旨さになる」との答えを得た。「では、自分は小麦粉の甘さを旨さに変えなければならんのじゃないか。そのためには…グルテンを抑えたら甘み、旨みが出る。ではグルテンの少ない小麦粉で作ろう!」。そうして、山下さんの常識破りの挑戦が始まった。
常識破りの製造方法
そうめんの原料は、小麦粉と塩と水。小麦粉は、細い麺でもコシを出すために中~準強力粉を使うのが一般的だ。ところが山下さんは、和菓子用の上質な薄力粉を使うことにしたのだ。「グルテンの少ない薄力粉で手延べするなんて、できっこないと言われましたけどね」。
極細を諦めて、本当の美味しさを追求することにしたわけだが、これが至難の業だった。
「手延べにこだわるので、どうしても途中で切れてしまう」。試行錯誤の末、層を作って延ばす方法を取った。麺を凝視すると細い1本の麺が確かに何層かに畳まれているような…。「これね、80枚の層を作ってるんですよ」。80枚!! その層の重なりによって、表面は柔らかくても芯にしっかりとしたコシが出るのだという。薄力粉から手間暇のみでコシを生み出すという不可能を可能にしたわけだ。
もう1つ、山下さんは麺業界の常識に立ち向かった。
室町時代から伝わる、油を塗って乾燥を防ぐ方法に疑問を持ったのだ。「昔は、搾りたての綿実油を使っていて、不純物も入っていたんですが、今の油は純度が高い。そのため、かえって酸化が早いんです。なので、古物(ひねもの)、大古物(おおひねもの)がよしとされていた時代とは違っていると思うんです」。
油が酸化する臭いをなくしたいと、山下さんが油の代わりに用いたのは吉野葛。この効果は大きかった。酸化の臭いをなくすのみならず、フワリとした舌ざわりとツルツルした喉ごしと共に、見た目も艶やかで美しい麺を作り出したのだ。
さらに、乾燥方法にもこだわった。工場内に設えた乾燥室は、二昔ほど前の三輪の気候を再現できる施設だ。「温度を上げて乾かすと小麦の香りがなくなるから、低温で」。取材の日は、13時30分に乾燥室に入れ、翌日の昼過ぎまで24時間ほどかけてゆっくりと乾かすという。「温度は8℃くらい、湿度は85%にしてます。仕上げにきつめの冷風をあてて除湿するんです。さぬきうどんの生地を足で踏んで一晩おく、あの作業と同じような効果も得られます。低温乾燥でツルツル感ができます」。ツルリとした喉ごしと、喉を通りすぎた後にふわりと小麦の香りが感じられるのは、この細やかな温度と湿度管理の賜物らしい。
五感に訴える麺
こうして、出来上がった「一筋縄」は「五感を刺激する素麺」だと山下さんは言う。
グルテンの強さに頼らない薄力粉で表現する美味しさ=味覚。
吉野葛による表面の艶めき=視覚。
ノンオイル製法で油の匂いを無くす=嗅覚。
低温熟成によるツルツル感=触覚。
ん? 聴覚は…。「私の耳に入る情報ですね」。
「昔の名人は勘と度胸やったけど、今はデータがある。原料を見抜く目は必要ですが、どこの産地にいい小麦粉ができたという情報源を持つことが大切です」。群馬と讃岐の小麦が優良と見て、その種を乾燥した広大な土地のある外国に持ち込んで蒔いてもらってきた。「案外、国産の小麦粉よりしっかりとデータを出してくれる外国産の方が安全安心だったりするんですよ。それに外国の乾燥した気候で痛めつけられて小麦は美味しくなるんです」。ただ、ウクライナ情勢如何で、今後変えていかねばならない。「今、国内で、畝(うね)を高くして水を減らして育てる試みを始めたところです」。御年77歳。機敏な対応力に驚くが、「原料の選択が7割、技術は3割ですから」と山下さん。
「一筋縄」は「美味しい麺を作りたい」という想いを胸にひと筋に、常識を打ち破り、不断の努力が生み出した、麺匠の到達した芸術品といえるだろう。
「一筋縄」に魅入られた専門店
この「一筋縄」の専門店がある。
奈良県は学園前の駅からほど近い場所に2021年にオープンした『麺どころ わこん』。和モダンな構えが小粋な割烹を思わせる店だ。
料理長の松宮隆徳さんは、『本𠮷兆』各店にて8年ほど腕を磨いた方。「数年前に知人の紹介で山下さんと出会い、「一筋縄」を知りました。そして山下さんのお人柄とともに、このそうめんに惚れ込んでしまったんです」。
松宮さんは、以前からにゅう麺をメインにした店を手掛けたいと思っていたという。「でも、冷たいそうめんなら気にならない油の臭いが、温かいと前面に出てくる。古物、大古物などが高級とされてますが、僕は油の酸化したような臭いがどうしても好きになれなくて。それが、一筋縄で完璧に解決したんです」。
『麺どころ わこん』では、通年ランチに「一筋縄」のにゅう麺を提供している。だしは、昆布と、店内で毎日削る鹿児島産カツオの本枯れ節のみ。きれいな澄んだだしと、たおやかな食感の一筋縄素麺が上品にマッチする。
暑い時季には冷たいそうめんも出す。「冷たいそうめんには、宗田節をメインにしただしを合わせます。宗田節のちょっとしたクセに椎茸などの旨みを重ねて、コクと複雑味を出します。しなやかなコシのある麺によく合うと思うんです」。
ほか、冷やの山かけそうめんも人気とか。「長芋でなく、粘りの強いヤマノイモと温玉のトッピングは、存在感のある「一筋縄」だから出来たメニューです」。
そうめんつゆで食べても味わい・食感の違いは歴然だが、店ならではの仕立てで供する場合はなおのこと。麺そのものの味わいがものを言う。
『麺どころ わこん』
【住所】奈良市学園北1-1-11 イヴビル 1F
【電話番号】0742-93-3091
【営業時間】11:30~14:00LO、17:30~21:00LO
【定休日】水曜
【住所】奈良県桜井市黒崎702
【電話番号】0120-08-2533
【営業時間】9:00~17:00
【定休日】日曜、祝日
https://www.miwayamakatsu.co.jp/
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