関西・地酒の星

大倉 | 奈良・香芝『大倉本家』

押し出しの強い旨みを持ちつつも、すーっとキレていく軽快な後口。
ふくらみのあるボディでありながら爽やかさと繊細さも持ち合わせている。
相反する要素をまとめるのは乳酸由来の複雑で奥深い旨みと酸の力。
単純ではない味わい深さは、酒同様にたくましくも繊細な造り手の多様な試みから生まれたもの。

文:藤田千恵子 / 撮影:東谷幸一
※「あまから手帖」2021年3月号より転載
蔵元 大倉隆彦さん
1974年 奈良県香芝市生まれ
1994年 横浜国立大学経営学部入学
2001年 生家である『大倉本家』に戻る。
    同年、蔵は休造に。
2003年 酒造り再開。蔵人として参加する。
2008年 蔵元兼醸造責任者に就任
左は「大倉 山廃特別純米 雄町70」。大倉さんが『大倉』の代名詞と言う一本。その中でも「生の熟成は面白い」と推すのが、29BYの無濾過生原酒3年熟成版。備前雄町精米歩合70%。1800㎖2800円、720㎖1400円。精米歩合50%もあり、飲み比べるのも一興。右は「大倉 陽の光 山廃純米中取り生原酒」1800㎖2400円、720㎖1200円。2004年より自営田で大倉さんが栽培している飯米ヒノヒカリを使用した山廃仕込みの無濾過生原酒。バランスの良い中取り部分を瓶詰め。

深夜から始まる少数精鋭の酒造り

朝6時45分。ハチマキ頭(似合う!)の大倉隆彦さんが蔵の前の道に立っていた。
寒い中、我々の到着を待ってくださっていたご様子。お礼を伝えると、恐縮して「いえいえいえいえッ!」。酒は人なり、というけれど、すでにお仕事の一端を見たような丁寧な物腰なのだった。

案内された蔵の中では7時に米が蒸し上がる。米を掘る人、運ぶ人は3人でフルメンバー。蔵元で醸造責任者の隆彦さん、蔵人の峰 健祐さん、奥さまの佳子さんという少数精鋭で酒造りから出荷までをすべてこなすという。「よく働く奥さまですね」と思わず呟いたら、「何させんねん、と思ってるでしょうねー」とすかさず隆彦さんの言葉が返ってきたが、奥さまは軽やかに、時に笑顔で蔵の中を動き回っている。朝の作業を終えた後は、お子さんを幼稚園へと送っていくのだそうだ。

大倉さんの起床は深夜2時。蔵人の峰さんも3時には蔵に出勤する。どれだけ働き者なのか!と驚かされたが、大倉さんご本人も酒造りに入る前は、蔵で働く人たちを見て「冬の寒い時期にこんなことして、あのオッチャンら大丈夫なんかな」と、いつも思っていたのだそうだ。

それがまた、なぜ、ご本人も同じことを。
「なぜなんでしょうね。父からは、蔵は継がなくていいと言われてましたし。父はゴルフが好きだったので、おまえはプロゴルファーになれとか、さっぱり意味の分からへんこと言われてましたね」。 

父の勝彦さんは『大倉本家』三代目。「地酒は地元で飲まれるもの」という信条の下、奈良県北西部に強い地盤を持ち、6000石を売り切るほどの販売力を持っていた。トラックの荷台に何百ケースも酒が積まれるのを見ていた子ども時代。隆彦さんにも跡継ぎの自覚はなんとなくあった。

「父は、この先の蔵は機械化しないとやっていかれへんと。なので僕は、21世紀の酒蔵は蔵の中をロボットが動いてるんや、すげえな!と想像していたんですよ。でも、21世紀になって久しいのに、まだ蔵の中で動いてるんは僕やった(笑)」。



自営田を継続し、休造から復活

「継がなくていい」から「継ぐな」と父の言葉は変化していき、ならば、と横浜で会社員生活を送っていた隆彦さんだったが、父の病の報を聞き、2001年7月に生家へと戻る。
「父は癌を患っていて、蔵を廃業させるために準備中でした。当時、売上げは相当下がっていたんですよ」。蔵はすでに創業以来初めての休造に入っていた。

その間、隆彦さんは面倒を見る人のいなくなった自営田のヒノヒカリの栽培を請け負った。
「農業なんて初めてですからね。トラクター乗ったことないし、コンバインって何ですかって。見かねた近所の農家のオッチャンが、おまえヘタクソやな、オレが乗るから見とけって。それ見た別のオッチャンが、おまえもヘタクソや言うて、代わる代わるトラクターで耕してくれました」。

田圃は守られたものの、休造は約3年に及んだ。
「その間に、僕に蔵を継ぐよう勧めてくれたのが、天理市の『登酒店』のお父さんです。初対面なのに、大倉の息子か、ここに座れ、みたいな。僕は酒造りの経験なんてゼロやのに、やれよ、できるて、いけるいける! って言われて」。

とはいえ、蔵を継ぐことに大反対の父はなかなか首を縦に振らない。ようやく醸造再開の許可を得たのは、2003年の秋。大倉さんは、蔵人と原料米の確保に奔走したという。
 「但馬杜氏さんに戻って来てもらって、僕も初めて蔵に入りました。で、一から教わったんですが、酒造りってこんな働かなアカンのかと、もうビックリですわ。え! 正月もないの!? と。初年度は、蒸してる米がどの酒になるのかも分からんままに終わってしもて。今、もしも、蔵を継ごうとしていた自分にタイムマシンで会いに行けたら『やめろ、おまえ向いてへん』と説得したい(笑)」。

しかしながら。現場で但馬流の酒造りに携わること5年。伝統の山廃仕込みの面白さにも惹かれ、杜氏さんの引退後は、自分の手で酒造りを続けていくことを隆彦さんは決意。以来、醸造責任者としての酒造りは今期で13造り目を迎えた。

山廃を軸に、多様な酒米で醸す

蔵の再開後、創業以来の代表銘柄『金鼓(きんこ)』に加えて、隆彦さんは奈良の地酒専門店のPBだった『大倉』を、改めて全国向けに発信。普通酒主体だった『金鼓』とは異なるコンセプトにより生まれ変わった『大倉』は、従来とは別の新しい飲み手も獲得することとなった。

「最初は、山田錦で純米で、と決めてたんですけど、今はめちゃくちゃ変わってきて。米も自営田のヒノヒカリに雄町、朝日、雄山錦ある、オオセトあるで、いろいろ。なので今の『大倉』のコンセプトは、僕ですね! 自分を表現。僕は中二病なんで、しかも重度の(笑)。これ造りたいと思ったら造る。それをお客さんに喜んでもらえたら嬉しいんです」。

おおお、中二病でしたか!
「人と違う、というのが僕のテーマ。なので、あまり人が使っていない1号酵母とか8号酵母も使いたくなる。最初の頃は、流行ってる酒を見ると、ああいう酒造らなアカンねんなと思って真似してみたりもしたんですが。でも、結構頑張って真似しても、なんか全然届かへんし。真似は真似でしかないし。やっぱり、うちは但馬杜氏から受け継いだ、ゴツくて味のある酒が持ち味なんだなと」。

自分たちの蔵ならではの勝負を、と挑み続ける山廃仕込みの酒は、全体の7割。純米酒比率も9割に。山廃由来の厚みのある味わいだけでなく、そこに清涼感と洗練も加わるのは積年の試行あればこそだろう。

恐縮と含羞(がんしゅう)と謙遜の人、隆彦さんが唯一口にしたカッコいいモットーを最後に。
「最新の『大倉』こそ最高の『大倉』である!」。

取材日の蒸し米は、精米歩合70%の雄町。山廃特別純米の酒母となる米だ。甑(こしき)から米をスコップで掘り出すのは「頼りになる」と大倉さんが信頼を寄せる5年来の蔵人・峰さん。
蔵内を走って運んだ蒸し米を麻布の上に広げ、冬の寒気の中での自然放冷。「熱っ!」と呟きながら、丁寧に米を広げていく。
適温まで冷ました米を2階へと運び上げて酒母タンクに投入。
酒母タンクの中。まずは蒸し米と水、麹(こうじ)をしっかりと混ぜ合わせていく。
酒母タンクの中に「汲(く)み掛け器」と呼ばれる筒型の金属を差し込み、そのまま置くと、筒の中に水分が溜まる。これをひしゃくで汲み出して米の上に振りかけていく。
汲み掛け作業は、麹の酵素を含んだ水分を蒸し米に均一に触れさせて糖化を促進させると同時に、タンク内の品温を低下させることが目的。
米を仕込んで数時間以上経つと水を吸った蒸し米と麹が盛り上がってくる。それを攪拌するために櫂を入れて突く荒櫂(あらがい)作業。

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