日本料理のことば

「けんちん汁」や「けんちん巻き」の「けんちん」とは

けんちん巻きやけんちん煮、けんちん焼き、けんちん汁……。「けんちん」が付く料理は数多あり、せん切りにした野菜がたっぷり入った料理をイメージする方も多いかと思います。とは言え、このちょっと風変わりな名前は何に由来し、どこからきたのか? 何を意味するのかをイメージすることは難しいです。文献を辿り、その語源に迫ります。

文:「辻󠄀静雄料理教育研究所」今村友美 / イラスト:松尾奈央(Factory70) / 協力:辻󠄀調理師専門学校

目次

「けんちん」のキーワードは「せん切り野菜」と「油」

けんちんは、中国から伝わり、禅寺で作られた精進料理(=普茶料理)の一種です。風変わりな名称は、片言の中国語が訛ったものと考えられています。

けんちん煮、けんちん焼き、けんちん汁など、「けんちん」の名が付く料理はたくさんありますが、おおよそ共通する特徴として、
①種々の野菜をせん切りにして取り合わせること
②油を用いて調理すること

が挙げられます。
①の具を湯葉や薄焼き玉子などで巻いて、揚げて煮ると「けんちん煮」、蒸すと「けんちん蒸し」、具をすまし汁に加えると「けんちん汁」、具を卵と合わせると「卵けんちん」といった具合です。

ところが、油を使わず蒸して固めた「けんちん」という名の郷土菓子も存在しますし、漢字表記も「巻繊」「巻煎」「巻蒸」などさまざま。このように、けんちんは一様ではありません。
その背景には、鎖国下においても外来の食文化を受け入れるために、庶民レベルで日本ナイズしてきた人々の工夫があるようです。


文献上に見る「けんちん」

江戸時代に刊行された料理書のうち、最も早く異国料理を紹介したのが『和漢精進料理抄』(1697年)です。この中に中国風精進料理として、「巻煎(当時の振り仮名:ケンチエン)」が登場します。
大根、ゴボウ、栗、椎茸、麺筋(麩)の細切りと、青菜のみじん切り、豆腐の揚げたものと細切りを一緒に炒め、湯葉に包んで揚げて、ショウガ酢につけて食べるとあり、油がうまく使われ、調理法も手が込んでいます。今風に言えば、“野菜の湯葉春巻き”といったところでしょうか。この本では、ケンチエンをはじめとする中国語風の料理名が多数登場し、テーブル式の食べ方も紹介されており、当時とても斬新だったに違いありません。

『料理綱目(こうもく)調味抄』(1730年)では、「巻繊(当時の振り仮名:けんせん)」が登場。ゴボウとキクラゲのせん切りとセリを湯葉で巻いて揚げ、ショウガ酢・煎り酒で食べるとあります。他には、『黒白精味集(こくびゃくせいみしゅう)』(1746年)の中国風料理の項に収録された「巻煮」、『豆腐百珍』(1782年)の「真のケンチヱン」などなど。名称や細かい調理工程に揺らぎはありますが、野菜の細切りと油を使う調理法が多く登場します。

外国と交易をしていた長崎で発達した中国風料理(=卓袱料理)の本『卓子式(しっぽくしき)』(1784年)に出てくる「巻蒸(当時の振り仮名:けんちん)」は、「けんちん」の名で記載された早い例です。作り方の最後に「蒸してもよい」と書かれており、油に馴染みがない日本向けのレシピに改良されています。

文献上は、この頃から「けんちん」ということばに統一されていったようです。ことばが固定化すると、春巻き状の料理を指すだけではなく、中具そのものや、せん切りにした材料を巻くという調理法も意味するように。精進物に限らず魚介類を使ったけんちんや、油を使わないものも登場しました。


中国の精進料理から、日本の馴染みの味へ

普茶料理と卓袱料理は、“日本風の”中国料理ではありますが、異国風でハイカラ、さらには高級なイメージをまといつつ、庶民にも広がっていきました。また、上方と江戸の料理屋にも影響を及ぼし、例えば江戸を代表する料亭の『八百善』で熱心に導入されたことが知られます。主人が記した献立集『料理通』にも、もちろん「けんちん」は多く登場します。

明治時代に入ると、家庭向けにも中国の料理が紹介されるようになりました。とはいえ、それは『料理通』など江戸期の料理書からの抜粋や焼き直しであり、あくまで日本ナイズされた料理だったようです。「けんちん」はその代表格なのかもしれません。風変わりな料理名であることから、なんとなく異国風の顔をしながらも、日本の食文化に馴染んでいったのでしょう。

▼穴子けんちん蒸しのレシピはコチラ

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