昆布はどうなる?

独自の進化を遂げた、“昆布王国”富山の昆布食文化

富山県は“昆布王国”と呼ばれるほど、昆布の消費量が全国トップクラス。とは言え、国内の昆布のほとんどが北海道や東北地方で採取され、富山ではほぼ採れません。なぜ産地から遠く離れた富山で、多くの昆布が消費されるのか。その背景には、北前船や北海道開拓の歴史が関係しています。今回は富山県高岡市の昆布製造メーカー『室屋(むろや)』五代目・室谷(むろたに)和典さんにお話をうかがい、富山に根差す昆布食文化についてレポートします。

文:坂下有紀 / 撮影:田中祐樹

北前船と北海道開拓がもたらした富山の昆布食文化

富山は昆布の消費額において、全国ナンバーワンを長年誇ってきた。過去63回の全国家計調査で、昆布の消費で1位を逃したのは2位に転落した2013年、2022年の2回のみ。この統計は家庭での購入価格の平均を元にしたもので、料理屋での昆布消費は少々異なるかもしれないが、とにかく富山人が無類の昆布好きであることは間違いない。

kon0002-b富山で親しまれている「とろろ昆布おにぎり」「昆布〆」「昆布巻きかまぼこ」など。

富山で昆布食が発達したのは、江戸時代中期から明治にかけて蝦夷地(えぞち/北海道)と大阪を結び、日本海を往来した北前船の影響が大きい。「海の総合商社」と言われる北前船は、日本海沿岸に点在する数多の港で、各地の産品を売り買いした。富山県では高岡市の伏木港、富山市の岩瀬港などが寄港地として栄え、北海道でとれた昆布やニシンが大量に荷下ろしされ、富山からは米や藁(わら)、醤油などが積み込まれた。

『室屋』五代目・室谷和典さんは「北前船と昆布食の関係は広く知られていますが、実は明治の頃の北海道の開拓とも大きく関係しています。開拓者の多くが東北・北陸からの集団移住で、なかには昆布の仕事に従事する者も多く、移住者や出稼ぎの人が郷里へ昆布を送ったり、お盆や正月の帰省土産にしたりしたようです。羅臼(らうす)町への移住者の7割以上が富山県からで、現在でも富山で羅臼昆布が一番多く消費されているのはそのためです」と話す。

kon0613c「北陸昆布協会」副会長、「たかおか昆布アンバサダー」なども務める『室屋』代表取締役社長の室谷和典さん。

また、江戸時代に越中の薬売りが薩摩藩へ昆布を運び、それが琉球(沖縄)を経由して薬として清国(中国)に密輸され、薩摩藩に巨万の富をもたらした。沖縄に昆布を使う郷土料理があるのもその影響。蝦夷地から清国までを繋ぐ「昆布ロード」に、富山の売薬組織が暗躍していたというのも、“昆布王国”らしいエピソードだ。

「羅臼」を中心に、用途によって昆布を使い分ける

この記事は会員限定記事です。

月額990円(税込)で限定記事が読み放題。
今なら初回30日間無料。

残り:2345文字/全文:3418文字
会員登録して全文を読む ログインして全文を読む

フォローして最新情報をチェック!

Instagram Twitter Facebook YouTube

この連載の他の記事昆布はどうなる?

無料記事

Free Article

おすすめテーマ

PrevNext

#人気のタグ

Page Top
会員限定記事が読み放題!

月額990円(税込)初回30日間無料。
※決済情報のご登録が必要です