夏のお造りの定番・洗いとは?
夏に向くお造り(刺身)の手法として知られる「洗い」。造り身にした魚介を氷水や流水などで洗い、身を引き締め、ひんやりとした口当たりを楽しませます。涼感を演出すること以外にも、実は、洗いには様々な効果があります。連載「和食を科学する 料理理科」でお馴染みの農学博士・川崎寛也先生に解説いただき、洗いの魅力に迫ります。WA・TO・BIに掲載した人気店や上野修三さんによる多彩な洗いもご紹介。
Q:洗いとは何か?
洗いは、魚介を冷たい水で洗うお造りの手法の一つです。洗いの他に、洗鱠、洗魚と記されることもあります。
ボウルにザルを重ね、そこに冷水または氷水を張って、薄造りや糸造りにした魚介を身が反り返るまで洗います。流水に当てながら洗うという手法もあります。急冷し、刺激を与えることで、身をチリチリと縮ませるのが目的です。
一般的に広まったのは江戸時代。随筆家・喜多川守貞(きたがわ もりさだ)が著した江戸後期の風俗誌『守貞謾稿』には、「三都(京都・大阪・江戸)ともに洗ひというあり」と記されています。
Q:洗いにするメリットは?
洗いのメリットは、この3つです。
1.魚介の臭みを洗い流す
2.身が締まり、弾力が出る
3.ひんやりとした口当たりになる
黒鯛(チヌ)の洗い。身がチリチリッと縮んでいるのが分かる。
農学博士の川崎寛也先生は「洗いは、魚介の臭いを取る手段として始まったのでは?」と推測します。洗うことで表面のたんぱく質や脂質が洗い流され、魚介の臭みが取れるだけでなく、さっぱりとした食味となります。
また、洗うと身が縮むため、弾力が生まれることもメリットの一つ。見た目が涼しげで、口当たりも冷たいことから、夏のお造りとして定着しました。『守貞謾稿』にも、「洗いは夏用なり」と紹介されています。
Q:洗いに向く魚介は?
洗いのメリットを十分に感じられる魚介を選ぶことが大切です。独特な臭いがある、脂っこい、身が柔らかいといった特性を持つ魚介が向いているでしょう。淡水魚では鯉(コイ)が代表格。また、おどりよりも身が引き締まるとして、エビの洗いも好まれます。
海水魚では、スズキや黒鯛などの磯魚の“磯臭さ”を取るために洗いが用いられます。身質が柔らかいアコウも洗いにすることの多い夏の白身です。
昭和の高度経済成長期、海が汚染され、「魚が石油臭い」と問題になりました。その筆頭がスズキで、当時は盛んに洗いにしたようです。以来、スズキといえば洗いとなり、夏の風物詩的存在になりました。
洗いにする魚介は鮮度が良くなければなりません。本山荻舟(てきしゅう)の著書『飲食事典』(昭和33年発刊)の「洗い」の項にも、「鯛・鱸(スズキ)・鯒(コチ)・鯔(ボラ)・鯉など用いられるが、生きていることが条件になっている」と解説されています。
連載「和食を科学する 料・理・理・科」の「“洗い”の意外な効果とは?」では、300gの大物の穴子の洗いを検証。そもそも弾力のある穴子は洗いにしてもそれほど食感に変化がなく、脂が流れ出すぎて、旨みが物足りなくなってしまった。
Q:洗いのメカニズムとは?
洗いとは「無理やり死後硬直を起こすこと」と川崎先生は解説します。
魚介も人間も、すべての動物は体を動かすために筋肉を使います。この筋肉の収縮に必要なのが、ATPというエネルギー物質。ATPを消費させ、なくなることにより、筋肉が収縮するのです。
筋肉は、多数の筋線維が集まったもの。筋線維は細胞なので、細胞膜があります。この細胞膜もまた、ATPがあることで維持されます。逆に、ATPがなくなると細胞膜が壊れ、筋線維は強く収縮します。これが死後硬直です。
鮮魚の薄切りを氷水などで洗うと、チリチリッと縮むのは、筋肉の収縮によるもの。
つまり、洗うという行為はATPを洗い流すこと。ATPを無理やり取り除くことで、筋肉の収縮を起こしているのです。
Q:鮮度のいい魚介でなければ、洗いにできない?
ATPというエネルギー物質は、魚介などの動物の生命活動に必要なものですから、死後、どんどん失われていきます。
死後硬直の起った魚介にはATPがほぼ消失しているため、洗いにしても筋肉の収縮が起こりにくいのです。洗いには、必ず活けの魚介を用いること。そうれでなければ、洗いの効果は期待できません。
連載「和食を科学する 料・理・理・科」の「“洗い”の意外な効果とは?」では、死後硬直した状態(中)と捌きたて(右)の目板ガレイを洗いにして食べ比べた(左は洗いにしていないもの)。死後硬直したものはチリチリと縮まず、洗いの効果は感じられなかった。
Q:洗いにすると、魚介の味はどう変わる?
魚の臭みは脂質酸化物。脂が酸化することで臭みが出るのです。これは、さっと洗うだけで取れる、と川崎先生は話します。
また、脂っこい魚を洗いにするとさっぱりとした食味になるのは、表面のたんぱく質や脂質も洗い流されているからだと考えられます。
適度に魚介の脂を和らげることができる点も、洗いが夏のお造りとして用いられる理由です。
➡「連載「和食を科学する 料・理・理・科」の「“洗い”の意外な効果とは?では、アコウの湯洗いや、車エビを洗いにして熟成させる方法も実験・検証しています。
プロの洗いのバリエーション
大阪・北新地『味菜』のアコウの洗い
大阪・北新地で創業して40年。社用族に愛され続ける割烹の店主・坂本 晋(すすむ)さんが夏の定番のお造りとして供するのは、アコウの洗い。ぬるま湯に潜らせて冷水へ。温度差で洗いの効果をより高めています。
➡【レシピ付き】『味菜』の割烹料理 初夏の魚介編はコチラ
上野修三さん作・目板鰈(メイタガレイ)の洗鱠(あらいなます)
『浪速割烹 㐂川(きがわ)』創業者にして、食の随筆家としても知られる上野修三さん。連載「上野修三の古典」の目板ガレイの回では、昭和の時代に人気を博した一品を伝授。身は洗いに、残りは骨煎餅にするというアイデアが斬新です。
➡連載「上野修三の古典」の「【レシピ付き】骨が名脇役!? 大阪好みの目板ガレイ3品」はコチラ
上野修三さん作・黒鯛(チヌ)薄引き洗い
大阪湾を代表する初夏の魚・黒鯛。独特の磯臭さがあるため敬遠する料理人も多いですが、上野さんは「通好みの味」と評します。天然水で洗ってクセを和らげ、夏ミカンのドレッシングと蓼(タデ)タレでカルパッチョに。技ありの一品です。
➡連載「上野修三の古典」の「【レシピ付き】大阪湾の代表魚・チヌ(黒鯛)を割烹の技で」はコチラ
京都・花背『美山荘』の鯉の洗い 青の薬味 夏仕立て
京都の奥懐で創業120余年、“摘草料理”で知られる料理旅館。鯉の料理も名物の一つで、6月は洗いで登場します。四代目・中東久人さんが、洗いに用いるのは中硬水。オオバギボウシなどで作る薬味を添えて、清涼感を楽しませます。
➡【レシピ付き】洗いVol.1京都『美山荘』はコチラ
大阪・福島『日本料理 楽心』の梅じそ風味の鱧洗い
モダンで華のある日本料理で知られる大阪の人気店の主・片山心太郎さんが挑むのは、なんと鱧の洗い。意外な方法で皮霜にし、梅酢とハチミツ入りの冷水で洗いに。皮はコリッ、身はぷりっとした食感を楽しませます。
➡【レシピ付き】洗いVol.2大阪『日本料理 楽心』はコチラ
東京・神楽坂『一宇』の真鯛の菖蒲(しょうぶ)洗い
日本料理と江戸前寿司をコースで楽しませる2022年オープンの新星。店主・濱野紘一さんは、菖蒲を煮出した水で鯛を洗いに。青梅のジュレにも菖蒲を忍ばせ、初夏の香気が漂う一品に仕立てています。
➡【レシピ付き】洗いVol.3東京『一宇』はコチラ
滋賀・近江八幡『ひさご寿し』の鯉の洗い
滋賀食材に特化した寿司店を営む川西豪志(たけし)さんは、琵琶湖の鯉を洗いに。50℃の湯で洗ってから酒を加えた冷水で締め、ハーブ&スパイスで鯉の匂いをマスキングするタレを考案しました。
➡連載「和食を科学する 料・理・理・科」の「ハーブ&スパイス×淡水魚の可能性」はコチラ
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